私の意識は全体の1%にも満たない


神は自らを体験するために、自分をたくさんの自分に分割してそれぞれの体験をするようにした。そのうちの一粒のしずくが君自身だ。

全体の中の君自身という捉え方は、例えば君と君の住む地域との関係とも言える。君の知らないところでも、今この瞬間にも地域の人々や生き物達の営みが行われている。それぞれの命はそれぞれの場所で必要な体験をしている。その中で君自身も同じく必要な体験をしているのだ。

地域全体を1つの意識としてみれば、その中の君自身の割合が対比しやすくなるだろう。それがなんとなく分かれば、今度はその地域の大きさを郡や県レベルに大きくする。日本国レベルやアジア、そして地球全体を1つの意識として見たとき、その中の自分の割合が感じられるだろう。

地球全体を1つの意識として見れば、その中での君が今ここで何をしているのかを対比として感じやすくなるだろう。

それぞれの命は生まれ出た時期の差こそあれ、それぞれの元は1つの意識から生まれていることになる。


だから全てのものは対等であり、同じものなのである。


それらを嫌うという事は、すなわち自分自身を嫌うことと同じになる。嫌っているうちはその先の景色は見えないし、嫌いなものと同程度の嫌な出来事がやってくる。

しかし、もしそれらも好きになれたら、好きの総量が増えることになるから、それに見合った楽しい出来事に出会えることになる。


君自身の、その好きの意識が地球全体に及んだときに、究極の無条件の愛を体験できる。


その先は太陽系や銀河系としての1つの意識に発展していく。