現実世界すら想像の中

さて、この現実は君達の想像によって作り織り成されているという所まできてたね。想像がいろんな化学反応を起こして今この瞬間が出来ている。

今この瞬間に、君は日記をつけている。

今この瞬間に、近所の川で魚が寝ている。

今この瞬間に、フランスの断崖で鳥が休んでいる。

今この瞬間に、北極の海中をクジラが泳いでいる。

これらを全て君が感じるのは不可能なんだ。なぜならこれらを全て感じるセンサーまたは感覚器がないからだ。全てにカメラを設置して観察する事も不可能ではないけれど、それを達成するほど君達の文明も発達していない。

何が言いたいかと言うと、この世界、およそ地球上に限定しても創造性は君達の理解できるよりはるかはるか大きいものだ、という事だ。この世界は君達の想像をはるかに超える要素で構成されているという事だ。

しかし、さらに上位の次元から見ると、これらは全て創造性の中に収まっている。つまり、君達が空想なり想像なりで映像を思い描くように、この地球上にある全ては大きな一つの意識の中に想像されて作り上げられたものなんだ。

そして、現実は想像からできている事から、今目の前にある布団や壁もまた想像されているものであり、君が今日出会った人もまた想像上の人物という事になるんだ。君達がこれらの出来事をとてもリアルに感じていることは知っている。だからなかなか抜け出せないことも分かっている。

それでもなお、これらは全てシンボルであって真実ではないという事を今一度よく考えてもらいたい。いくら不安になっても、悲しくなっても全てはシンボルだから、まともに受けなくてもいいんだ。

目の前のことも、そうでないことも全てニセモノ、ホログラム、架空の物だ。あるのはそれをどう感じるか、という君の感情だけだ。

悲しいという感情があれば、それを体験するシンボルが現れる。それはAとして現れる事もあればBとして現れる事もある。宇宙から見たらAかBかはどっちでもいい。要は君が悲しみを感じていたから、それを体験する事が現れたのだ。

しかしなぜ宇宙は、私がAなりBなりを悲しんで体験すると分かっているのでしょうか?

それは、今の君の次元では理解しにくい事なのだが、つまり現実をシンボルとして見せているのは自分自身だからだ。自分のことは自分でよく分かっているだろう?それがより高次となればなおさらだ。Aが現れたら悲しみを体験できると知っているからだ。

では、一歩進んで、高次の君がAを体験させてくれた。そして実際に体験するのは君だ。君は確かに悲しくなった。高次の君はこう思うだろう。「一度体験したからもういいんじゃないかい?ああ悲しかった、って言って次の課題に移るんだろうな。」と。しかし君達はその悲しみを受け入れて切り替えるのではなくて、見なかったことにしたがっている。こうしてその悲しみは潜在意識に押し込まれる。

例えば株価が思うようにならない時。または相手が期待通りに振舞ってくれない時。すれ違う車が道を譲ってくれない時。いわゆる君が怒りを感じる時、何が起こっているのかというと、大きな想像の中で「君がその創造をしている」という事。そして、その出来事に注目せずに君の感情に焦点を当てること。目の前の出来事は一切関係ない。君の中の感情に注視すること。その感情に光を当てるように、君が気づき意識的にどうしたいかを決めること。

繰り返し言うと、目の前の出来事は一切関係ない。だから誰のせいでもない。何が悪いわけでもない。全て君の感情に基づいている。