本当の価値とは

前回は自分を無価値と思ってる人は、何か物を得ることで心のバランスを取っているという事を書いた。

では、本当に価値のある事とは一体何だろうか。


私たちの魂は全て、神の一部で、神がたくさんの経験をするために作り出された、と読んだことがある。だから、いろんな経験をしようと自己を分離させた神になったつもりで、トップダウン式で物事の価値について考えてみたい。

おそらく神が私に経験しもらいたいと思っていることは、今この瞬間に感じていることが全てであるのだろう。そうでなければ存在していないし、しかも存在していない事すらも分からないからだ。

ではゲーム感覚で、今の僕が自分の代わりを作り出していろいろな経験をしてもらっているような世界を見てみたい。

例えば、私がプレイヤーに羽の生えた空飛ぶ馬に乗って大空を自在に飛び回ることをしてもらいたいとする。そしてゲームの中で実際にプレイヤーが馬で空を飛んだとする。そのプレイヤーは感動する。それを見て私も嬉しくなる。

と、こういう事を輪廻転生を使って何億、何兆、それ以上のプレイヤーを作ってはそれぞれに体験してもらって自分の思いを代わりにプレイしてもらっている。

うーむ、なんか分かるようで…全然分からない。ここにどんな価値があるのか、本当の価値とは何だろうか。このゲーム自体はいつでも電源を切れるし、ただ、何かを達成しなかったらやっぱり失敗回になってしまって無意味になるのか。ただ、失敗を経験したかったら、失敗する事には成功している訳だし。ややこしいなぁ。

つまり、神から見た人生における価値とは一体何ですか。

もうほぼ答えまで来ているみたいだけどね。つまり、「経験」する事だ。体験。それだけ。だから成功とか失敗とかそれはどちらでも構わない。両方ともに経験には違わないからね。だから、言うなれば君が生きているだけですでに経験になっているから、それ以上の事はあまり重要では無い。

さまざまな環境で君達はたくさんの生まれ変わりを経験しているが、これは君達がいろんな可能性や選択肢を考え出していったからその数だけ経験が増えたという事なんだ。ある人生ではうまくいかなかった。だから次はなんとかうまくやりたい、と願いながらね。

その「うまくやりたい」という基準は君達が作り出した価値観であって、その作られた枠の中で成功や失敗の概念ができあがっていったんだ。ある人生ではAをしたけど、Bだったらどうなるだろう。またはAの次はCも気になる…とその組み合わせを無限に考えついていったわけだ。そして、それは今も続いている。だからその可能性を言い出したらキリが無くなって、結局そこからどうやって踏ん切りをつければいいのかが分からなくてなっている状態だ。

さっきのゲームで言えば、プレイヤーは一通りゲームをクリアしたけれど、プレイヤーが「いや、ちょっと待って。あの時に別の行動していたらどうなっただろうか⁉︎」と言い出して、それが次々に沸き起こって来た。ゲームを作ったあなたは「いや〜、それは別にいらないんだけどな…」と思いつつもそのプレイヤーに自由にやってもらっている状態だ。君がそれは必要ない、という設定を作ったとしても、そのプレイヤーは全く聞く耳を持たないし、その合図に気づくこともなくなった。

だからあなたはそのプレイヤーが自分からそのこだわりから抜け出す意志を持つまでひたすら見守ることにした。ただし、さりげなく「それは重要ではないよ」というシグナルは送り続けながら。

そこから抜けるためには一つ一つに「まいっか」とこだわりを無くしていけばいいんだけど、今までがそんなやり方じゃなかったもんだから、大きな船が急に曲がれないように、方向転換が難しくなっているんだよ。それが君達の星の特徴的な部分の一つでもある。

それはそれで経験にはなってはいる。ただそれでは横に広がるだけで、深みは増えていかない。量が増えても質は変わらずにいる。むしろ量を求めることが価値があって成功していると思い込んでいるもんだから、どんなに物の量が増えても虚しさを感じる事になる。