創造と自己不信

この世のゲームは、神が自分で何ができるのかを知るために作り出されている、と書いた。今回は、その逆の「創造しない」という状態がどういう状態かを考えてみる。

例えば、100mを10秒で走りたい、と想像したとする。自分はその身体能力を得ることができる、と想像したならそこに行き着くために必要な情報や体験、知識などが脳にヒットするようになる。しかし、走りたいと想像した瞬間に「いや、やっぱり無理だ」とその想像にストップをかけると、君の中の創造もまたそこでストップする。そして創造界での存在もそれ以上に生み出されなくなる。

同じように、違うことで「あれやってみたい」と思う。しかしその瞬間に「いや、やっぱり無理だ」とまたストップをかける。すると、また創造界での誕生が阻まれる。

そして同じような状況が何度も何度も繰り返されて、結局何も生み出されないまま寿命を迎えていく。最期の時に「ああ…やっぱりやっておけばよかったな…」と後悔することになるのだ。

さて、これだけ読んだら、じゃあ勝手にやればいいじゃないか、と思うことだろう。できないと思っているのは自分だけなんだから、いちいち注釈もいらないんだ、といった具合にね。

人生はそううまくできていないところがまた面白い。

実はこの「やっぱり無理だ」と思ってしまう根っこは、幼少期の周囲からの、特に親からの言葉によるところが大きい。小さい頃に「そんなことはやめなさい。」「そんなの無理に決まってるでしょ。」「あなたにはできないわ。」とかいろいろと、たくさんの否定的な言葉を言われていて、それが無意識に入り込んでいるんだ。これがその人の人格を形成している大きな要素だ。

幼少期に明るく振舞った時に、「静かにしなさい。お姉ちゃんなんだから。」とか、嬉しかった時に「あんまりはしゃぐんじゃありません。みっともないでしょ。」とか。

こういうことが続くと、明るく振舞うことはいけないことだと思い込むようになっていて、創造の世界から見ると、明るく振舞うことの先にある創造の誕生が阻まれることになってしまうのだ。同じように嬉しいことの先にある創造の誕生が阻まれる。

本当は明るく振舞いたいのに、いつかそれはダメだと言われた。でも明るくしたい、でもそうすると親に見離されてしまう…。こんな葛藤をいつもいつも抱えている人がたくさんいる。

本当はしたいのに、この呪いの言葉のせいで何もできない状態でいるとどうなるか。その時、人は怒りを感じる。悲しみを感じる。他人の幸せに嫉妬するようになる。

現在の日本や地球上ではこの状態が強く強く根付いていると言える。

家に帰れば家族から文句を言われ、職場に行けば上司や同僚から文句を言われ、テレビをつければタレントが文句を言う。新聞も雑誌もほとんど全てにおいて、あれもこれも良くないことだ、とかダメだ、とか言っている。

そうなると、どんどんとできる範囲が狭く狭くなっていく。するとその先の創造ができなくなる。創造の誕生がどんな瞬間にも阻まれることになっていくのだ。歳月を重ねるたびにその禁止事項は増えていくことになるから、自分の動ける範囲がめちゃくちゃ狭くなって身動きが取れなくなる。本当はもう少し先まで行きたいのに、誰かがそれはダメだって言っていた…。だから何もできなくなっているんだ…。

本当はやりたいのに、身動きが取れないとなると、人は怒るか、悲しむか、絶望して全てを諦めるか…。

現在では日本中や世界中でこんな状態が続いている。しかも加えて言うなら、お互いに監視し合っていて、お互いが自由に表現できないように縛り合っているんだ。

でも、逆に言えば、いつも怒っている人は、本当は何かを自由に表現したいと思っている。いつも悲しんでいる人は、本当は何かを訴えたいと思っている。それが何なのか、と聞いたところで、本人も明確な答えが出るわけではないだろう。幼少期からのさまざまなネガティブデータが潜在意識に入り込んでいるから、その識別は非常に困難なのだ。だから自分が不快になっているときには、いらないデータが顔を出していると気づいて、それを直視する必要がある。その時に見ないふりをしてまた潜在意識に戻してしまったら、また別の時に場面を変えて現れることになるのだ。

本当の自己表現ができないと、自分を信じられなくなる。どうせまたダメなんだから…と。それが繰り返されると、その先の創造ができなくなる。だから怒りが湧き、悲しみに包まれる。そうすると、その感情の現実が引き寄せられてきて、さらに怒り悲しむことになるのだ。

でもそれは真実ではなくて、怒りではなく楽しい世界で過ごすこと、悲しみではなく喜びに満ちた世界で生きられること、こういったポジティブな世界を想像し、創造界に作り出すことができる、という選択肢を、人はいつでもどこでも持てるのだ。そしてそれを自分が信じることができて、行動できるようになれば楽しくて喜びに満ちた世界を引き寄せることができるという訳なんだ。