要らないデータVS望むデータ


あのさあ、株やら人生やらで要らないデータをいろいろ出してきたけど、望む現実は想像からできるわけで、どんな未来を体験したいのか、という明るいデータを集めることは今後に役立つのかな?

何を言っているんだ、それが創造の核じゃないか。そういった明るいデータがなければ現実にも出しようがないだろう?逆に言えば、要らないデータはね、「ネガティブな創造」をしてくれていたんだよ。君の中にそんなデータがあったから現実化して体験できた。

ネガティブデータと同じで望むデータも対等に扱われる。今まではネガティブなデータが優先的に現実化していたように見えてたけど、本当はね、ネガティブなデータのほうが多かったからそんな風になってたのさ。君の抱えるデータが

ネガティブ:ポジティブ=8:2

だったら悪いことが8個起きて、いいことは2個になるよね。単純にそんな風にできてるんだよ。でもこれからはポジティブのほうが完全に多くなるから、楽しんで創造できるようになる。

望むデータの体験は、君が何の疑いもなく思い描くことが第一条件だ。疑いがあればその通りに現れる。

だから、その現実を見て、君は自分の中のデータを確認して修正できる。望む方向に修正するんだ。これは「失敗した」ということではないんだよ。これからも、今この瞬間にも修正ができるから、失敗という概念は本来ありえないんだ。失敗した、と思うのは君がそこで悲しみを体験したい時。望む未来があるなら、初めは試行錯誤があるかもしれないけど、何度もデータの修正を繰り返すんだ。

君が納得いくまで修正する事ができる。