人間関係とは?利用価値があるのは当然⁉︎

なんかさ…人間関係ってお互いに利用し合っているように感じてきちゃって。

例えば誰かと付き合っても、一緒にいてマスコットのように他人から羨ましがられるために付き合っていたり、Hできるからとか、お金持ってるからとか、食事作ってくれるからとか、寂しい時に慰めてくれるからとか、他人に優越感を感じるからとか、自慢したいからとか…

なんだか全部当てはまるし、利用する以外の関係ってそもそも不可能なんじゃないかとも思えてきたよ。

で、その利用価値がなくなったらお役ご免で、ハイさよなら。

そうでなくても、うまくいかなくなったら、力ずくで言うことを聞かそうと暴力や暴言を使ったり…。

無条件の愛というからには、これらの利用価値とか損得とか一切ないということなんでしょう?


そうだね、それを無条件というからね。これらの打算的な考えも意識もほとんどない関係だね。年収とか、学歴とかはもちろん、容姿や性別、年齢、住んでる所、乗ってる車、着てる服、などなど。

そんな事を気にしないし、ハッキリ言えば本当にどうでもいい事なんだ。

じゃなんでそんなもの気にするのかと言えば、それらがあれば幸せになれると思っているからだ。逆に言えばそれらが無ければ幸せになれない、と。

それでそもそもの幸せの定義が、心の平安じゃなくて、物質的なものでしか得られないとみんなが思い込んでいる、という文明だ。

例えばここに10人いて、そのうち9人が幸せの定義を年収の多さだと思っているとする。そのうちの1人が君で、幸せとは心の穏やかさだと考えている。とまあ、現在はこんな状況であるだけなんだ。

ただ単純に多数派と少数派の問題であって、普遍的な事ではない。始めの利用価値の問題にしても、多数派がそう思っているだけであって、もっとハッキリ言えば君には何の関係もない。君が何を選び信じるかだ。

他人からの利用価値に不快感を感じるなら、君の中にも同じ感覚があるという事だ。

エゴが無くなれば、無条件の愛を理解することができる。理解してから無条件に愛せるのではなくて、克服しなければ理解できないのだ。

他人から利用されることに腹が立つなら、その人は君の中にまだ怒りがあることを身をもって体験させてくれているのだ。だから相手に「利用価値を測るのはやめろ!」と言ったところで根本的な解決には全くならない。

君が利用価値がたくさんあるようにいろんな条件をつけるのもまた勉強にはなるが、いずれまた同じように他人に利用されることが嫌になる時がくる。

だから根本的に、利用されることに怒ることを克服するのだ。そうすればどんなに打算的な人がいても、君には関わりのない世界になっているし、相手の思惑もすぐに分かるし、騙されなくなることで平和な日常を送ることができるのだ。


つまり、現在の関係を全体的に捉えると、今のところ君はまだ打算的な人間関係を克服できていない、という結論にいたる。


それを受け入れ乗り越えたら、打算的な関係はほとんどが解決する…というよりも、初めからそんな問題で悩んでいなかったタイムラインに乗っていることだろう。