ハイアーセルフと自己実現


世の中思い通りに行かないことがほとんどだ。でもこれって一体なんなんだろう?生きるとは思い通りにいかないという挫折や失望を味わう事なのか?

例えば、株で100万円儲けたいという願望を実現したいとする。だが実際には株価が下がって損する場面も出てくる。

そういえばバシャールの本に出てたな。ハイアーセルフはあなたが意識できるよりはるかにもっと優れていると。だから僕の願望を無視して試練ばっかり与えてるように見えるけど、実は願望実現までの最短コースを示してくれている、と信じる事なんじゃないかな。

僕が考えうる最短コースと、ハイアーセルフの考える最短コースが違うだけ、と思う。現実に出てくる場面は必要があるから起こっていて、それが例え僕が望んでいない事だったとしても進化や実現のためにはどうしても必要だった事柄であるんじゃないだろうか。

バシャールのいう、結果に固執しないという意味はこのことなんじゃないかと思う。僕の思う最短コースじゃない時に、特定の結果に執着していたらなんでこんな事になるんだという自責や失望に変わりやすくなってしまう。

だから思い通りに行っていないと思える時には、それはハイアーセルフからのメッセージであって「これが必要だね」「これも必要だね」と実現までに必要なものを最適なタイミングで提供してくれているんだ。それらを受け入れていく事で、それが最短コースになる。それを僕のハイアーセルフは知っているんだ。

だから、何が起こっても必要なものを提供してくれているから「感謝」になるんだ。

そして大事なことは、僕の進化や実現を手助けしてくれるための出来事の提供は、無条件の愛の元にしてくれているという事だ。決して見捨てる事なく、見放すことなく、ただ進化と喜びのためだけに常に見守っている。

嫌だと思うのは、僕がそれを嫌いだから。でもそれは普遍的な事じゃなくて、別の人から見たら好きなことかも知れない。だから嫌なことも好きになれば全くストレスは無くなるんだ。

そもそもハイアーセルフには好きとか嫌いとかの概念がなくて、ただ僕に必要だから現実を体験させてくれているんだ。それを僕が個人的な意見で好き嫌いを言っているだけ。せっかくためになる出来事を無条件で出してくれているのに、やれ気に入らないだのやれ神はいないだの文句を言っているだけ。よく見ればただのワガママだ。

ハイアーセルフ側から見たら、ある出来事Aを提供したのにその人はそれを拒んだ。すると実現までに必要なAが保留となり、別の時に持ち越される。ハイアーセルフは「これも必要なんだけどなあ」と思いつつ、次にAを出せるタイミングの機会を伺う。どうやらその人は機嫌の良い時にAが起こればなんとか受け入れられるかも知れないと思い、その人が受け入れられそうなタイミングを見計らって出来事Aを起こす。

こうして、実現に必要な要素となるAがその人に受け入れられる準備ができた時に、ハイアーセルフはその体験をさせてくれる。だから出来事を素直にそのまま受け入れる時間が早ければ早いほど、次の課題Bに移る時間も短くなっていく。

ここで心を閉ざして全てを受け入れず拒んでいたら、そこで停滞してしまう。ヘタをすれば一生同じ課題に悩まされるかも知れない。人によっては「なんで私はこんな同じことでいつもいつも悩まされなきゃいけないんだ!」となるかも知れない。

または受け入れるのではなく他人のせいにして怒りをぶつけていても、同じく停滞してしまうだろう。

つまりハイアーセルフは、君が受け入れられる準備ができたであろうと見越して出来事を提供してくれるワケだ。最も最適なタイミングで、そして最も最適な方法で。だから君は素直に出来事の意味をくみ取り、どんな出来事にも「僕には今、これが必要だったんですね」と謙虚に受け入れること。

これによって人生がどんどんと充実したものになっていく。なぜなら受け入れれば受け入れるほどに願望に近づいて行けるのだから。困難が多いからといって願望実現から遠ざかっているわけではない。むしろ、困難が多いほうが近道なのだ。出来事はいつも逆説的なのである。もちろんそれらを拒むのではなく、素直に謙虚に受け入れること。

これによって早く違う次元に行けるから、願望実現までの時空をショートカットすることにもなる。タイムトラベラーだ。