本当に全てを許すことはできるのか


悟りへの道、またはこの地球卒業のひとつの基準として「無条件の愛」を獲得することだと以前に知った。

無条件の愛とは、なんの見返りもなく、なんの契約的な関係でもなく、例え好きな人から冷たい態度をされようと、たとえ職場でパワハラを受けようと、たとえ理不尽に財産を強奪されても、たとえ家族に危害が加えられても、それでも相手を許し愛情を示すということなんだろうか。




∞じゃあ逆に聞くけど、好きな人から冷たい態度をされたらなんで許せないんだい?


そりゃ傷ついて悲しくなるでしょ。なんでそんな人を傷つけるようなことをするんだ!という怒りにも似てるかも。


∞ふーん、なんでそれだけで傷つくの?


いやいや、今まではそんなことなかったし、急にそんな態度されてもはいそうですかと納得できないからね。


∞つまり、彼女にはこうであって欲しかったのにそうしてくれなかった、と期待を裏切られた、だから彼女が悪い!と責めているワケだね?


いや〜…まあそんなつもりはないんだけど、結局そういうことなんだろうかねぇ…?


∞それと、幸せになるには各自が自由に言動できることが重要だろう?彼女が君から離れるという自由を受け入れることが、彼女の幸せに一役買っているとは思えないのかい?


それはそうなんですけど…そんなに簡単にできればみんな苦労していないと思いますよ。


∞それじゃあ彼女の自由な言動から生まれる彼女の真の幸せよりも、君が傷つきたくないから君を傷つけないような演技を強要するべきだと言いたいのかな?


そんなつもりもないんだけどなぁ…でも結局そういうことになりますかね…暗に僕に合わせることを強要していたのかも。


∞彼女の言動に怒ったり傷ついたりして嫌だった、と思う背後には君の過剰な期待がひそんでいたことに気づけたかい?

これはつまり彼女の問題ではなくて、君が勝手に彼女に理想を押し付けていた、という君の問題なんだ。彼女への執着、独占、怒りを無意識に彼女に向けていた。だが彼女も敏感に無意識ながらそれを察知して、それが漠然と嫌だなと思っていた。または意識的に。だから離れるほうが彼女にとってメリットだったのだろう。

このままでは彼女自身が不自由に押し込められて、幸せになれないと感じたのだろう。


じゃあ聞きますけど、彼女のその選択にも彼女のエゴはなかったのですか?一方的に僕が悪者になってますけど…。


∞それはもちろんあるだろう。君をコントロールしようとしたり、ある程度の期間でも演技をしてしまったりした理由は嫌われたくない、見放されたくないといった不安や恐怖があったことと思う。まあいずれその不快感は怒りとなり、ゆくゆくはその怒りが君に向けられるようになるのは時間の問題だった。

つまり、以前はある程度歩幅が合っていたのだが、もう合わなくなったのだ。

会わないのは合わないから。

会えないのは合えないから。


なるほど、なんとなく理解できます…。悲しいけど。


∞それでこれを無条件の愛の観点から見てみる。するとお互いに事情を抱えていたこと、自分が過剰に期待していてそれが相手を苦しめていたこと、理想を押し付けていたこと、そして彼女はそんな環境から離れたかったこと、彼女自身の自由な言動を半ば一方的にでもせざるを得なかったことなどをあぶり出すことで、お互いの立場を理解できるようになる。

理解できたら、これは誰に悪意があったわけでもなく、偶然ではなく必然だったと分かり、この一連の出来事が怒りの対象ではなくなる。すると、「相手にもそんな行動をしてしまう理由があったんだろうな」と理解し、仕方ないことだったのだと共感が生じて思いやれるようになる。

これが慈しみであり、優しさである。すなわち、君に冷たい態度をとったところですでに君は相手を理解しているから、ものの始めから怒りがわくこともなく、悲しみも生まれない。なぜなら君はすでに相手の事情を理解しているから。むしろ相手もなんらかのエゴに苦しんでいるのだろうなと共感し優しくできるようになる。

これが無条件の愛だ。

相手のどんな言動にもなんらかの意味づけがあり、それに気づいて理解している状態。それでもなお怒りや悲しみが生まれるなら、それはまだその状況が理解できていないことになる。主には自分自身への理解不足だ。

ついでに言うならば、この世の出来事はすべてこのように深掘りするために生じている。さらに言うなら、それらの出来事はすべて君自身から出発しているから、怒りや悲しみの出来事が起こるのは100%必然なのだよ。

だから出来事の理解なしに表面だけ「許した!」と言っても、その隠れた怒りはまた別の機会に別の出来事としてやってくる。それは自分自身が1番よく分かることだ。だから外ヅラだけ「悟りました」といっても心の中は嵐だったりする。

こうして君の人生に現れる様々な辛いことや悲しいことをきっかけにして、君の中のエゴを洗い出し自分自身を理解すること。それらをたくさん積み重ねることで、たとえどんな出来事が起こっても、その事情が分かっているから怒ることも悲しむことも、誰かを責める必要がなくなるのだ。

何の欠点もなく弱みもなく、正々堂々と自分を出して表現できる。もはや自信しかなく、だからといって他人を見下す必要もない。全てが自然に行えて、合うものと合わないものが瞬時に判断できる。


なるほど、そこにたどり着くにはひとつずつ自分を掘り返すことなんですね…?


∞そう、掘り返す作業はその都度そのいやな感情と向き合わなければならないから怖いのだ。だからそこに向き合うのに必要なのが勇気だ。よく言うだろう?挑戦する勇気。しかし、ここでその少しの勇気を出せたなら、他人がなにかを乗り越えたい時にもその勇気を伝えることができるのだよ。