僕はすでに目的地に着いている?


僕は今まで、何かを究めることは自然と人目について注目されて、自然と有名になりお金も入ってくるものだと思っていた。実際テレビや動画で有名なものは、実力があるからだ、と僕が勝手に思っていたりしている。

僕が徒手療法技術を高めていても、なかなか注目されたり取り上げられたり、個人的に依頼が来ないのは、僕の実力が足りないからだと思っていた。まあ実際実力不足はあるのだろうけど。

その反面、エゴを見直してそれが減れば減るほど目立ちたい欲求やお金への執着も薄れていく感覚もあった。

この相反することに矛盾を抱えて進むべき方向を見失いかけていたのだが、最近買った本にその答えが載っていた。

それは、例えば自分が歌手になりたいのにうまく行かない状態であっても、その結果には執着しないこと。デビューしようがしまいが、楽しい事に向かっている行動があれば、もうそれで充分なのだ、という内容だった。

これによって僕の中にあったジレンマや疑問に対する答えが見つかったのだ。

幸せになるにはひとかどの名前を残さなければならない、とか成功しなければならないとか…この場合の成功とは稼ぐお金が増えることを意味してるのだが、たくさんのお金を欲しがるのは、将来への不安があるからで、不安を持っていたら幸せではないしなあ、とか考えたものだった。

僕の名前で療法が確立された訳でもないし、書籍化した訳でもない。公演依頼もなければ出演依頼もない。そんな依頼が来るには、ブログや動画とかで他人よりも目立たなければならないし、だからといって目立ちたい訳でもないし…いろいろひっくるめてもまだまだ幸せには遠いなぁ…と。

しかし本当は、今この瞬間が楽しいのであれば、もうそれで充分なのだ、ということ。ということは、僕はすでに人生の目的地、幸せになることにおいて、すでに着いていたことになる。

そうはいっても、まだ何かが足りない…そんな思いも胸の奥にくすぶっている感覚もある。

それは一体何か。

すでに目的地に着いたという心境から、自分を内観してみよう。思いつくまま、感じるまま、聞こえるままに書いてみる。まだ諦めきれない思いが湧き上がって来るのが分かる。


「お金、負けたくない、見返してやりたい、イヤだ、俺は強い…」


もう人生の目的地に着いているんだ。もう頑張る必要なんか全然無いんだよ。楽しいことだけやっていればいいんだから。そう自分に言い聞かせて反応を見てみる。


「まだやり残してることいっぱいあるよ、休んでる場合じゃないだろ、早くしないと大変な事になるぞ、こんなんで満足する気じゃないだろうな、全然足りてないし、早く幸せにならなくちゃ、早く!」


なるほど、いろいろしまい込んでるものがまだ出て来るね。もっともっと穏やかな周波数にならないと出てこないものも多数ある気がする。そうか、仕事や持ち家、家族、財産、これらを全部自ら手放した、本当に何も持たない状態を想像して見返してみよう。


「あいつの方がいい物持ってる。車もデケェなあ。クソ!負けてねえし!目的地に着くのはあいつに勝ってからだろうが。一度ぶちかましてギャフンと言わせなきゃ気が収まらねえ。でなきゃどこにも行かねえよ。アイツに勝つまでお前、動けよ!休ませねえぞ。お前のせいで俺がこんなに嫌な思いしてんだから。お前が実力不足だからいつまでも幸せになんかなれねんだから。反省しろよ。」


おぉう…なかなか凄まじい怒りが出てきたなあ。こんなセリフを言いそうな、いろいろな人の顔が浮かんで来てたよ。つまり無意識にその人から言われたことをデータとして抱えていたわけだ。昔ならだいぶビビってひるんでたなあ。だけど今は違う。怒りの消し方も対処法も自分で編み出しているからね。

でもわずかでも当時の恐怖心があったら、そのスキを狙ってスルリと潜在意識のデータに残ろうとするのが分かる。一瞬だけ自分で手加減して意識をそらしてしまうのが感じられる。なるほど、徹底的に向き合って対峙する事が一番の近道だな。


「どうだ怖いだろう。怖がれ!怖がれ!俺と同じくらい、いやそれ以上に怖がって不幸になれ!幸せなんてなれる訳ないんだから。不幸になれ!失敗しろ!失望しろ!怒れ!悲しめ!」


だんだん必死になってきたね。