解決策


ちょっと待てよ、どうしてこんなにお金に不安なのだろうか。

ふと、思いついたんだけど「自分にはお金をどうする事もできない」という思いがある。つまり、お金を工面する知恵や工夫が思いつかないという意味にもなる。何かお金に困ることがあっても自分にはそれを解決する能力がない、という事だ。

解決策はバイトをする、とか誰かから借りるとか、奨学金を頼むとか金融公庫に相談するとかいろいろあるはずなんだけど、そんなことなども思いつかずにあぁもうダメだ…と諦めてしまっている。だから逃げ場も進む道も全く思いつかなくなってパニックになる。

いま解決策が思いつかないし、どう行動していいのかも分からない…自分はなんてダメな奴なんだ、能力もないし、頭も悪い、他の人はなんとか上手くやっているようなのに、俺だけは全然イケてない、アホでバカだ…。

なるほど、お金が必要な時に解決策がない事に対して不安だったんだ。

これはお金以外ならなんとかできるという自信はある。例えば登山中に膝が痛くて動けなくなった時。ここならバス停があるしロープウェイも確かあったなぁ。小銭は持ってるからそれで下山しよう、とか。

また例えば車が動かない時、原因はガス欠かバッテリーか、どうしてもダメならリースの会社に電話するし、ヨメに電話して迎えに来てもらおう、とか。

何か困難があったときに解決策が分かっている事。これだけでも安心感が全く違う。

バシャールはいう。「豊かさとはする必要のある事を、する必要のある時にできる能力」と。

簡潔に主語と述語にすると、「豊かさとは能力だ」となる。

お金の目的は何かをする事だ。食料を買ったり車をリースしたり、住居を確保したり。お金自体は目的にはならない。何をするかだ。そして何をしたいか、だ。

それらの最終ゴールは「幸せになる」こと。地球卒業の条件だ。

みんなお金の量で人生を測りたがるけど、それはナンセンスだ。何をするのか、何をしたいのか。やりたい事は一人ひとり違うだろう?だから隣人の動向を逐一監視しても何の意味もない。隣人が幸せそうに見えたなら、それはその人が能力を使って行動したからだ。豊かさにつながる能力。

人々がお金を欲しがるのは、お金以外に解決する方法が分からないからだ。だからもしものためにたくさん欲しがる。自分にはそれらを解決する能力なんかない、と決めつけているからだ。もし何か困難があったら、もうどうしようもないじゃないかと。なんとかなる、と思っていれば悩む必要なんかこれっぽっちも無くなるんだ。

という事で、手元にお金が無くても解決できると分かった。思い返せば今までもそうだった。有り難いことに、いろんな人の助けももちろんあって、それらも含めて何とかなって今がある。俺ならできる。なんとかできる。工夫も好きだし相談もできる。