寂しさと誰かからのエネルギー

寂しい時には誰かに会いたくなるよね。これもエネルギーに何か関係しているのかな。

例えば山登り中、とても疲れている時に誰かとすれ違って挨拶を交わすだけでも少し元気になる気がするよね。または、作業小屋とかで何ヶ月か使ってない場所は温度が低いというかすぐに荒れてくるというか、劣化しやすいこともあるよね。

これらはきっと人から見えないエネルギーが出ていて、見えないところでそのやり取りがされていると思うんだけど。

そう、それが人に会いたくなる所以でもあるんだ。会いたくなるのは何らかのエネルギーを求めているけど、それは人によって変わって来る。楽しさを求める人もいれば、逆に寂しさを持った人を求めることもある。それは共感したいから。その求める波動が同じに近い人との付き合いは長続きする。いろんな意味での共感というメリットがあるからね。

どんなに楽しい波動を持った人でも、相手が穏やかさを求めていたら波長が合わないから、干渉波が生じて不快感になるんだ。不協和音。だからその付き合いはすぐに終わる。

相手の波調に合わせることでなんとか和音に持っていくこともできるけど、そんな場合は自分の中に不協和音が生まれる。だから人知れず不快感となる。それは気持ちだけでなく細胞にも乱れた波が押し寄せてしまう。

心地よいとは、自分の中にきれいな和音が流れている状態だよ。その和音を追求する事がワクワクすることなんだ。言うなれば、音楽は聞く和音だけど、出来事は見る和音だね。または感じる和音。

今の世の中は不安なこと、羨ましいこと、怒っていること、悲しいこと、つらいことが多いから、それらを持った人たちは一緒になりやすい。そこでの共感というメリットがあるからね。だから優しさとか嬉しさの波動の人は必然的に孤立しやすい。そんな不協和音の中で過ごしたいとは思わないから。

みんながお金を欲しがっても、それが大多数だから誰もおかしいとか変だとかは思わない。逆に欲しがらない人が理解できないからあいつは変人だ、となる。

同じように同じグループ内でも、そこの雰囲気に馴染めない人は、ここは何か変だと感じている人であり、アイツは変だと思われている人でもある。

人によって求めるエネルギーが違うのは、すでに得ているエネルギー以外を求める場合が多い。例えばABCDEのエネルギーが必要で、すでに今までにA Dは満足していたとする。残りのBC Eは別の所から確保する必要があるため、それを追い求めるのだ。

しかし、たいていの人は自分にはあと何が必要なのかよく分からないことが多い。だから闇雲になるし、ピント外れになる事が多い。そして相手にも自分にも失望し、悲しみや怒りが湧いて来る。そんなものは得られない…と諦める者もいる。