進化して人間になること

鳥は群れで過ごす。アフリカの小動物達も家族などの単位で群れる。トラやオオカミなどの動物はあまり群れていない。ワシも単独。蛇も単独。クジラやイルカは小さい群れ。

ある程度の規模が決まっていてそこで安全を確保しながら一生を過ごす。

一方で人間は、会社で群れるが田舎では単独。都市で群れを形成しているが、行動は単独。群れたり単独行動したりと多種多様だ。

現在の地球ではヒトという一形態のみが生態系の頂点にいる、とされている。輪廻転成でヒトに入れる者は、動物からの魂だ。その動物が進化して次の段階に達してきている。だから人は本能的な部分が強い。

人の行動様式が多様なのも、それらの多種多様な動物の魂が人に入っているからである。それぞれの本能的な行動の特徴を持ちつつヒトに転生している。速く走る者、力がある者、豪華にしたい者、たくさん食べる者、小心な者、泳げる者など、多種多様だ。

ヒトがお互いにエゴを持ち合って相手を知らずに傷つけ合うこともまた、進化の中で重要な意味合いがある。

ヒトはこれらの本能的なエゴを統合する能力がある。物理的に植物を管理したり動物をいたわったりする行為もあるが、それと同時にそれらの動物の特色もまた統合することができる。

つまり動物の行動の特色は本能的であるということだ。そしてその本能はヒトに入るとエゴとして認識される。その本能の統合がすなわちエゴの統合なのだ。

誰かからエゴをぶつけられて傷ついたとしたら、それが相手の動物的な本能が具現化していて君に見せてくれている。君はそれを統合するのに役立てられるのだ。その分、君はさらに進化をする事ができる。相手のエゴが強いほど統合のチャンスだ。

人の能力は多種多様な動物などの統合だ。これらの感情的な統合が地球での進化の本質に近い。この統合に恐れを抱いて逃げ出す者は多い。

君の中の記憶もまた、エゴの統合に一役買ってくれる。記憶に残ることには何らかのエゴが隠れている。そのおかげで、その出来事を思い返してすぐに統合できる。統合していない場合は細胞に記憶として宿り、再び日の目を見る日が来るのを待つ。身体は大きな記憶装置なのだ。しかし、その記憶装置の容量も無限ではない。いずれ容量オーバーになり溢れ出して来る。これが病気の正体だ。だから逃げても結局はいつか対面することになる。

記憶を片っ端から洗い出して統合していくのも良い。楽しい思い出だったとしても、何らかのエゴが隠れている事もある。決めつけは禁物だ。