行動の意味


バシャールは自分のワクワクを追いかけることが進化につながる、と説いている。


これは一体どういう理屈なのだろうか。


ワクワク感は人によって様々に異なる。

食事に感じる人、山にいることに感じる人、動物と触れ合うことに感じる人、お金を貯めることに感じる人、高級車に感じる人、絵を描くことに感じる人…


人の数だけワクワクがある。しかし、その行動の源、それをさせるエネルギー、渇望感、動機、そもそもの原点はどこからなのか。

それは例えば、人から認められたいとか、注目されたいとか、不安だからとかいったネガティブを埋めたいがための行動なのか。

はたまた、本当に楽しくて時間も忘れて夢中になっている状態なのか。

つまり出発点がネガティブなのか、ポジティブなのか。これらの違いは判別できるのだろうか。


もちろんこれらの判別はとても簡単だ。

やってることをいちいち他人に言いたくなるのはネガティブ。1人でずっと続けているものがポジティブ。

おおまかに分けるならこれで分かる。

SNSで発表したくなるのはネガティブ。

長く1人でも続けられているものはポジティブ。

でもネガティブでもポジティブでも結局行き着くところは同じで、とんな人でもどんな行動でも最後には無条件の愛に向かっている。


ネガティブな動機が隠れていたとして、その時はそれがワクワクしていたとする。それで実際にやってみたとする。それを実際にやってみて、本当に満たされるのかどうかをそこで感じる。それをしばらく続けてみて、楽しくなかったら止める。

そして次に思いつくものをまた行動してみる。そして楽しいかどうかを感じる。これを多くの転生で繰り返す。すると次第に楽しいことと楽しくないことの違いが分かってくる。楽しくないものは続かない。楽しいものは続く。例え1人でも。

ここで余裕があれば、ネガティブ動機で始めた行動において、なぜ始めはワクワクしていたのにいざやってみると楽しくなかったのか、という分析することをオススメする。

おそらくその裏には、これをやれば注目されるからとか、褒められるからとか、一目置かれるからとか、優越感に浸れるからとか、人に勝ちたいからとか、そういった自分の隠れた願望がある事がほとんどだ。

そこで、自分はその行動が本当にしたかった訳ではなくて、ただ注目されて褒められたかっただけなんだ、と気付ければ、次からはその動機で行動することが減っていく。つまり本当に楽しいと思えることに近づけるのだ。


ネガティブとポジティブの違いをすぐに分かるようになるためには、まずはやってみて経験しないと分からない。たくさん経験することでだんだんと感情の最適化が進んで、効率的になる。最短距離に近づいていける。


そしてもう1つは行動することに対する不安や恐怖にも気づかせてくれる。

これをやったら笑われるとか、だれもやってないからとか、どうせうまく行かないよとか、失敗するからとか、これらの不安も見えない壁、またはガラスの壁となって行動を制限してしまう。

その行動はポジティブかもしれないのに、壁の向こうに行けなくしてしまうのだ。

だからこれもまた、行動をしようとした時に現れるかもしれない副反応だ。


どちらにしても経験を積むには、行動しなければ何も始まらない。経験するために行動する。そしてそれはポジティブ動機という幸せを知るためにどうしても必要なことなのだ。