依存・執着の正体
何かへの依存や執着、これは、それが無ければ自分は幸せではないという投影。
いい車でなければならない。
学歴が高くなければならない
パートナーがいなければならない
お金がたくさんなければならない
魅力的でなければならない
背が高くなければならない
バストがなければならない
1番でなければならない
勝たなければならない…
これらは全て、自分の心に無いものを物で埋めようとしているだけ。何かの物や、人などで自分の心の穴や隙間を埋めようとしている利己的なエゴだ。
お互いに必要とし合っているならバランスが取れている。しかし、片方がすでに心を埋めた、またはこの人では心を埋めることができないと見限った時にバランスが崩れ、その関係は終わる。
何かが必要でどうしても無ければならないと渇望する時、「自分は今、心の隙間を感じていて何かで埋めたくなっているんだ」と気付くことが依存・執着から抜け出す第一歩だ。
それは一体何なのか。
それは幼少期に両親からもらえなかった感情。母親からの感情、そして父親からの感情。つまり愛情だ。
全くもらえなかった、というわけではなく、ある部分は満たされたけど別のある部分は得られなかった…ということ。その気持ちが得られなかった時には、これが何か欠けているような感覚になるから「欠点」と言われる。そしてその欠けた部分を埋めるために、代償として何かの物や言動、反応となり人格ができあがる。
親からの愛情とは何か。
それは嬉しいこと、楽しいこと、誇らしいこと、寛容なこと、自由なこと、喜び、明るさ、進歩、発展、自信、自己受容…これらのポジティブな感情全てを総括したもの。
それが愛だ。
何かうまくいかない時に、無意識ではこう考えていることも多い。「確か親もこんなふうだったよね」
そして親の抱えている問題や欠点などがそのままコピーされている事も多い。
今までは親と同じことをしなければ、怒られる対象になっていた。だから親の認める範囲でしか行動ができなかった。だけど、自分の欠点に気づいたならば行動や発想は変わってくる。
「親と同じにしなくてもいいんだ」
そしてその先に進む。
「親よりも幸せになっていいんだ」「自分は幸せになっていいんだ」
よし、じゃあやろう。幸せになろう。今からすぐに。
みんなこうやってモチベーションがあがる。しかしなかなかそう上手く行かないことも多い。理由は、無意識の中に他人からの嫉妬を避けるためにあえて不幸を選ぶ時もあるからだ。親からの嫉妬、兄弟からの嫉妬、友人知人からの嫉妬、同僚や関係者からの嫉妬、ネット上での嫉妬…。
このリミッターがあると、できるだけ嫉妬者を刺激しないように、彼らの許容範囲ギリギリのところでの楽しいことだけが許される。やり過ぎると嫉妬されて足を引っ張られ、嫌がらせを受け、村八分になり、嫌な気分にさせられて「不幸」になる。
つまり、幸せになろうとすると結果的に不幸になるという社会構造になっている。
この嫉妬を避けるには、彼らがネガティブなことをしてきたら、彼らが自分に嫉妬していると気付くこと。そして出来るだけ距離を置くこと。