不幸になるにも条件がいる⁉︎


先日は幸せになるのに条件はいらない、と気づいた。同様に不幸になるのにも条件はいらない?

なんかよく分からないけど、朝目覚めるとなんだか分からないけどとても憂鬱な気分で目覚めることがある。何かは分からないけど、感情的にも感覚的にもネガティブな状態なことだけは分かる。それで、その日はそんな気分を引きずったまま過ぎることも多い。

何かしてもテンションが上がらない。これは一体なんだ?

例えば、この貧乏家系に生まれたから私は不幸だ、とか、こんな変な会社に勤めているから私は不幸だ、とか、顔のパーツが整ってないから私は不幸だ、とか…。

◯◯だから幸せ、ではなくて、◯◯だから私は不幸なままだ、とこのネガティブの中にも条件を持ち出していたという事だ。


他人に対しては、私は◯◯だから幸せなんですぅ、と幸せアピールしているけど、自分自身に対しては、私は◯◯だから不幸なんですぅ…と自己卑下し自分を責めている。


だからその環境が変わらない限り、自分は不幸から抜け出せないという思いに囚われるという訳だ。

学歴がないから、車がボロいから、家が小さいから、両親に恵まれなかったから、給料が安いから、貯蓄がないから、身長が低いから、体重が重いから、服がダサいから、食事が貧相だから、友達がいないから、彼女や彼氏がいないから、結婚できないから、子供がいないから、または子供のデキが悪いから、仕事の能力がないから、信用されてないから、ぼっちだから、会社を潰してしまったから…


だから私は不幸なんだ。


と、人生に自分で自分を閉じ込める条件や制限を設けていて、この状態から抜け出せていないから自分は幸せではない…と決めつけている。そして、それは環境を変えたり、またはその人生が終わらない限り抜け出すことは不可能だと思い込んでいる。漢字の囚われるという文字そのものだ。人が◻︎で囲まれてどうにも動けない状態。

そのかこっている壁が物理的に見えるものならすぐに気づけるけど、精神的な壁は見えないからなかなか取り除けない。自分で気付くしかない。

いや逆に気付けばすぐに取り外せる。


これが朝の起きがけに来たり、不意に襲ってくるネガティブな感覚の原因なんだろう。

不幸で不安で怖くなるような条件を自分で抱えているだけ。

ではその状況との付き合い方は、◯◯だから私は不幸だ、ではなくて、◯◯だけど私は幸せ!ぜーんぶひっくるめて、いろんな事があるけど、私は幸せ!

例えば

貯蓄がないけど私は幸せ。

身長がないけど私は幸せ。

車がボロいけど私は幸せ。

とかね。貯蓄がない事が不幸であるわけではない。不幸なんだろうという一つの意見。誰かが自分の怖さから、貯蓄がないことは怖くて不安だから不幸なんだ、と思っていることを自分も認めてしまって受け入れている。

例え自分に言い聞かせるように、幸せ幸せ…!って唱えても、心の底では不幸だと思っていたら、やっぱりまだ抜け出せていないことになる。そこは徹底的に深掘りが必要だろう。



まてよ、この逆もあり得るなあ。

つまり、いろんな不幸の条件があるから結果私はやっぱり不幸なんだ、と思う。すると今までは思っていなかったのに、「私は不幸だから貯蓄はない」という発想になるかもしれないという事。

何か新しいことが始まっても「私は不幸だからうまくいかない」と勝手に先手を打ってしまう。不幸の連想ゲーム。

自分で勝手に先手を取ってそんな思いや観念が出来上がっているから、やってくる出来事も「うまくいかない」ことが引き寄せられる。

私はもう不幸なんだから、起こる出来事も不幸なものしかない、というループに陥ってしまう。


なるほど引き寄せの法則がうまくいかない原因はこういうことなんだろう。バシャールのいう「遠ざけるのをやめる」というところにつながるワケだ。

だから、自分が不幸だと思っている条件にまずは気付くこと。そして現在がその状況であっても、私は◯◯だからといって不幸な訳ではない、とラベルを張り替える。これなら毎回職場を変えたり、引っ越したりといったエネルギーを使わなくても、一瞬で世界を変えられる。

自分は不幸だった、という世界から、自分は不幸ではない、へ。そして自分は幸せだ、という世界に、考え方次第でどうにでも変化させられるのだ。