圧倒的な余裕で人生を送りたい


ねえねえオカムラァ〜、じゃないけど、圧倒的な余裕で人生を送るにはどうしたらいいのぉ?

何の心配もいらないし

何の不安もない

何の怖さもなければ

何の躊躇もない

全てに自信があって、誰からも責められず、例えそんな奴がいたとしても歯牙にもかけない。圧倒的な実力差で余裕を持って人生を送る。

そりゃ簡単だよ。君に関連する全ての事柄を細かく理解して「分からない」ことを無くしていくんだ。君の怖さはその分からないこと、理解できないことから悪いことが起こるんじゃないかと思っていることだからね。

逆に聞くけど、どんなことに余裕を感じないんだい?


やっぱり…お金の問題かなぁ。この先も支払いができるか、急に出費が大量にかさんだりしないか、ずっと収入があるのか、これ以上預金も増えないのか、子供の学費はまかなえるのか…。それらを総合してこんな心配ばかりの生活から抜け出すことはできないのか。つまり、圧倒的な余裕のある人生は送れないのか…。


なるほどねえ、なかなか大変そうだね。つまり人生が怖い訳だ。自分には解決できる、という自信がないから全てが悪い方に行くと思い込んでいる。でもこの時期に臨時の給付金なんかも出たし、その他の保険なんかの手当てもあった。それでも自分を信じられない?


だってそれは僕が意図的にやった訳じゃないから単なる偶然だろう?


それが偶然ではないとしたら?



それらの偶然性も含めての君自身だとしたら?


ますます訳がわからんですよ。


じゃ種明かしをしよう。君は君だけど、本当の君は君だけじゃない。君は君自身の一部であって、たくさんの中のほんの一部だ。例えるなら大木の中の一枚の葉っぱだ。他の葉っぱや幹なども君自身だ。そこにはありとあらゆる情報や可能性、能力がある。それらの情報は、君という葉っぱに向かうときに、葉脈を通る時にある程度濾過されて通過するから、限られた情報しか君に届かない。その情報のフィルターをかけているのは君自身だ。

他の葉っぱといえば、君の過去も未来も新しくできる想像も全て生えている。そして全部で情報を共有している。全ての情報だから、大成功も絶対的な余裕も全てある。全てのことが揃っているのに、君は不安で何もできないという情報ばかりを頼りにしようとしている。

例えばイヌやネコがおかしな行動をしているのを見て、こうしたらいいのに、と思うことがあるだろう?あれと同じ状況が君にも起きているんだ。つまり不安なことにしがみついてないで、明るく楽しく、余裕を持っていればいいのに、とこちらからは見ている訳だ。

まーた困った顔して、できないできないって言ってるよ、って。不安なことにしがみついているから、不安な情報や出来事に会ってるだけなのに、ってね。

君がそこをクリアにできたら、身の回りで起きていることの意味が面白いように見えてくる。誰かが不安がっていたら、あの人は不安がらなくてもいいのに、あえて不安なことしてるよ、とか。

君に必要なものは全てあるのは分かっているのに、足りない足りないと言ってウロウロしているからね。


でもそんな保証なんてどこにあるんだい?


保証?保証が欲しいのは、信じていないからだ。たくさんの情報に触れるには「無条件である」こと。こちらは無条件で君たちに出来事を送っているんだから、こちらに応えるには無条件でなければバランスが取れないだろう?まあもともと無条件なところに「条件付き」を持ち込んでいるのは君たちなんだけどね。言ってみれば、無条件で、条件付きを体験できる、と言ったところかな。

これも「条件が合わなければいい事なんかない」という条件に必死にしがみついている事になっている。

本来は条件なんかなくても、全てがカチッと収まるようにできているんだ。これが期待しないという事。

冒頭の話に戻ると、君は圧倒的な余裕で人生を送りたいという。そこには、お金が…とか特別なな能力が…とか条件をつけているけど、そんな条件は必要ない。無条件で絶対的な余裕、それでいい。

逆に条件付きなら得られる情報はかなり、むちゃくちゃ限られる。1000あるうちの1か2くらいの話になる。無条件なら1000そのまま触れられる。確率からしても条件付きはかなり低いだろう?これが運の悪い人の考え方。逆に無条件なら確率でいえば100%になる。これが運の良い人の考え方。つまり全部うまくいく。

絶対的な余裕の「条件」を得ようとしているうちはかなり時間がかかるだろうね。何世代もいるかも。目的が余裕ではなくて、条件を得ることになっているから。