エゴと人間行動


エゴは動物的本能の延長線上のもの。

つまり、生命維持のための自動操縦装置。

食べる、寝る、生殖する、排泄する。地球上の生物はほぼこのリズムに従っている。

動物的本能は、肉食系なら獲物を捕らえて食べる。草食系なら草を食むが、肉食からの攻撃にも警戒する。こうして様々な活動や感覚などに派生していく。

さて人間はそれらを全てひっくるめて社会生活を送っている。というのも、動物の魂が進化してようやくヒトに入れるようになるからだ。様々な形態の動物の魂が、地球上では人間の身体の中に宿り生き始める。だからこの世界は多くの動物的な特徴を持った人であふれている。

足の速いもの、泳ぎが得意なもの、歌が上手いもの、大食いなもの、大きい体格、小柄な人、力があるもの、より高く飛べるもの、暗闇を好むもの、肉が好きなもの、群れで行動するもの、単独なもの…。

極端な話をすれば、他の命を奪うような凶悪事件を引き起こすのも、動物的な感覚が強いから何とも思わない。捕食の延長線上だから本能に操られて同じことを繰り返す。そしてこの行為は自分が被害者になった時に、その苦しみや悲しみを自覚できるようになったら止められる。

そしてその動物的特徴を持ったまま暮らすから、当然出来事に対する反応の仕方もその特徴の数だけ、またはそれ以上に現れる。

特に顕著な場面は、人間関係だ。

円満で円滑な関係を取れる場合は人間的な活動ができているが、そうでない場合、つまりストレスや摩擦が生じる場面では互いに傷つけ合うことになる。

だが例えば他人に対して攻撃的な場合でも、これも動物的本能の特徴が出ているだけなのである。それは相手からの攻撃と捉えてしまった場合には、防衛本能としての闘争や逃走に基づいた言動になる。

ここで動物で考えると、自分の命をつなげるために相手を捕食すること、つまり傷つけることは悪なのか、という思いが起こる。相手を傷つける行動は自分を守るためだから、良いことでも悪いことでもない、と言える訳だ。捕食した者はつまり本能に従って行動しただけだからだ。

これと同じことが人間社会でもいえる。自分を守るために相手を攻撃する、非難する、責める、足を引っ張る…こういう事が起きる。されている方はなぜそんな事を平気でするのかが理解できないが、いざ自分が反対の立場になったら同じことを繰り返す。

つまり、面倒な人やいちいち口を挟んでくる人、非難したり責めたりする人がいたら、それはまだ動物的本能に従って反応しているだけだから進化途上なんだなと思えるようになって、同じレールの上に立たなくてもよくなるのだ。