この世は本能に基づく世界


今の地球は、動物的な本能を基に動いている。より目立つ者、より大きいもの、よりたくさん持っている者、より本能をたくさん満たす行動ができる者、より男らしく、より女らしく、たくさん稼ぎ、たくさん異性から注目され、たくさん美味しいものを食べる者、より大きな家という巣、よりきれいにきちんとした身なり…

これらはつまり動物的本能をどれだけ満たせるのか、という競争だ。それらを満たす方法として手っ取り早くできる方法が、お金だ。だからよりお金をたくさん持っている者が成功者と言われる。

よりたくさんの本能を満たしていくことが成功と呼ばれる。

その本能は、生存本能、生殖本能、主にこの2つに大別される。いかに安全に暮らし、子孫を残すか。いかに死から遠いところで暮らしていけるてる、と思いたいか。

人々が成功を目指すのは、それが本能だからだ。より稼ぎ、より目立ち、よりよい異性を獲得する。

本能を満たすこと。動物的な感性ではそれが全てだ。本能をたくさん満たせれば成功者なのだ。

動物的な本能の出発点は、死への恐怖だ。つまり、本能を満たすことは、裏返せば死への恐れを常に抱いている。スマートな生活がしたいと思う根底には、死への恐怖なんか感じていないよ〜という余裕を見せたい気持ちがある。つまり動物的な本能とは無縁である、さらにそれくらい進化しているのだ、お前らは下等な動物であり私はより進化した人類なのだ、という自己顕示欲であることもある。

日常にあふれる様々な商品は常に本能を満たすためのものである。食品、服飾、車、仕事、あらゆる物が本能を満たすためにある。

そしてより本能を十分に満たせる物、または効率的に満たせる物がよく売れる。

▪️ということは本能から離れた所で暮らす者は、それらを満たすための行動は必要なくなる。

本能から離れれば離れるほど、物が必要ないから質素な暮らしになる。目立つことはしない。褒められたい欲求もない。華美な装飾もいらない。より控えめに、より簡素になる。必要最低限の暮らしになり、お金もたくさん必要なくなる。静かであり、穏やかな状態となる。全てが自分の中で完結している。そしてそれらに満足しており、人生にも満足している。究極的には死を恐れない。だから慌てることは一切ない。どんなことにも動じることはなく、動じる必要もない。

本能で暮らす者には、この感覚は分からない。本能を満たすことが成功であるから、それらを満たしていない者、または満たそうと努力しない者を見ると、人生の失敗者や落伍者に見える。生きることは本能的に競争でありいかなる時も戦いだからだ。だから人生を戦わない者は劣っているように見える。負け組に見える。彼らを見下し、バカにしたくなる。少しでも他人よりも優れていたい、競争に勝ち続けたいという本能的欲求から傲慢になり、華美になり、支配したがる。

本能を満たすこと以外は、全て失敗とみなしている。穏やかな時間も無駄な時間に見え、軽自動車もボロ車に見える。それを使っている者をみじめだと思い、自分はいかに勝っているかと思いたい。時間感覚も人生について、または死についての本能的不安があるからいつでもアクセクと慌てている。危機感のない者はサボっていて、使い物にならないと思っている。自分がいかに優れているかと思っていても、その実、心安らげる時間は片時もない。常に本能が発動しており、いつでもサバイバルモードになっているからだ。

どんな時でも、どうやったら本能を満たせるかを常に考えている。そしてそれに対して疑問を感じることは一切ない。むしろ本能を満たさない物事は全て無駄な物になる。