プラス感情とマイナス感情は異質な物

オーラの話で、プラス感情は光の三原色のように重なれば重なるほど明るく白に近づいていく。軽く透明になり抵抗が無くなっていく。

逆にマイナス感情は絵の具のように重なれば重なるほど黒に近づいていく。重く不透明で抵抗が高まる。

感情としては同じ自己から出ている、と感じられるが、実はこの2つの感情は質が全く異なるのだ。プラスは光でできており、マイナスはより重い物質でできている。身体においてはホルモンに置き換えられ、ストレスホルモンなどと呼ばれることもある。

重たい感情は物質的な側面が強いため、それが生じる時にはよりエネルギーが必要になる。だから疲れやすくなる。疲弊し消耗する。マイナス感情を体感するためにより多くのエネルギーや労力が必要になる。そのために必要な物質を毎回新たに作成することになる。だからマイナス感情を体感するために、そのホルモンなどを作るのだが、それを作るエネルギーは別の器官から拝借しなければならなくなる。だから疲れる。さらにそのエネルギーを得るためにより多くの摂取が必要となる。普段の活動に加え、マイナス感情用のエネルギーも得なければならなくなる。これらは進化の過程では無駄ではないが、進化した者たちから見れば無駄なエネルギーといえる。

一方プラス感情は光と捉えてもらっても構わない。明るく速く、軽く、いつまでも味わっていたいと思える。この感情は魂にもともと備わっているものだから、新たに作成する必要がない。だから疲れる必要もない。楽しいことをしている時には、時間も忘れて没頭できるのもそのためだ。見栄も嫉妬もない、純粋な光のみの世界。この感覚はマイナス感情を主としている者には体感できない。その粒子はとても細かく軽く、精妙だ。ロウソクの火がわずかな風にも揺れてしまうように、マイナス感情によってすぐにかき消されてしまいやすい。常にマイナス感情にまみれている者は、さながらロウソクが嵐の中でついているようなものだ。

プラスのエネルギー効率は際限がない。肉体の限界はあるが、魂においては無限となる。例えば、穏やかで平和な状況。それ以上の感覚。ここから上の状態はなってみなければ分からない。だから言語化することも困難だ。進化した者がいくらプラス感情のことを説いても、マイナスにまみれている者に理解させることが困難なように。要は分からないのだ。分かるのなら初めから理解している。

多くのものは何とか分かってもらおうと、あれこれとお節介を焼きたがるが言ったところで理解してもらうことはやはり難しい。本人が幸せを意図して、その方向に向かわなければそこには辿りつけないのだ。

それで分からない者たちはどうするかと言うと、物質的に「豊かだ」と自分たちで定義づけて、これが幸せだ!(と思う…)といった見せかけの自己満足に浸って人生を終える。だから豪華であればあるほど良いという、一見うまくいっているように見せてはいるが、それらが無くなるやいなや、すぐに慌て始めて不安になり正体が現れてくる。

不遇な時こそ自分を知るよい機会になる。例え不遇な時であってもいつも落ち着いていて穏やかでやさしくできているなら成功している。見かけはそのように見えても、内心では慌てふためいているならまだ改善の余地がある。