川の流れのように…したら流されるだけ?


さて、嫌なことが起こるのは誰だっていやだ。こんなにあれこれ考えてるのに一向に上向いている気がしない。なぜだろう。

よっしゃポジティブになってきたで!と思った矢先に株の暴落、面接の不合格、友人からの冷めたメール…なぜ?なぜなんだ⁉︎

人間万事塞翁が馬とは言ったものだけど、一体ほんとにどうなってるんだ⁉︎

思うに、今この瞬間にすでに絶望していないか?今この瞬間に今まで培ってきたこの現実感にガッカリしていないか?

つまりこの瞬間を受け入れないから次もまた同じようになるんじゃないか?起きていることをそのままにしていたら、その瞬間がイヤだからまた同じことが繰り返される。つまり川の流れに何もせずにいたら、結局流されるだけなんじゃないか?

カモだってゆるやかな川の流れにも、水面下でいっぱい足をかいているから上流に行けるんだ。少しでも良くしたいなら、今という川の流れに足をかくように、常にその瞬間を好きになっていくことが上に行く近道なんじゃないか?

だから休んでる暇なんかなくて、常に今を好きにしていく作業を瞑想するのがいいんじゃないか?

だって今この瞬間は、今まで君が作り出したものなんだ。言うなれば作った棚を壊してまた作り直していくような作業かもしれない。

この世界は君の42年分の要らないデータも入っていて、年を重ねるほどにその分多く他の変なデータも入り込んでくる。

変なデータが入ってきたり自分で作り出したりする量やスピードと、それらを好きにしていく量やスピード。単純な足し算になっているんじゃないかな?

だったらやる事はひとつで、一瞬でも多く自分がその世界を好きになることだ。

川の流れにいつも気をつけて、流されていないかをチェックしながら。

これもまた人体実験ならぬ、人生実験だ。


宇宙の思考は全て繋がっている。見えないネットワークで互いに。地球上でもそうだ。現在では地球上の人類はかなりのネガティブに支配されている。これはいわゆるテレパシーで配信されている。川の流れが下流に向かっているように感じるのは、その大きなネガティブな怒涛の津波に飲まれそうになっているからだ。だから、カモの足かきで登れれば良いが、さらに大きな力が働く事もある。

それでも自分を好きになる作業は決して無駄ではない。むしろそのために生まれてきているのだから。諦めずに、腐らずに、全ては自分のためであり、それが全人類のためでもある。

なぜ他の人類がそうしないかといえば、流されていることにも気付かないからだ。気づけない。まだ動物の進化段階から少し進んだだけだから、知識も経験も乏しい。だから進んだものが率先してやらなければならない。

彼らは流されていることが良いことなのか望まないことなのかの区別が困難だ。だから例え嫌な感情を持っていても「こんなもんだ」と自分に納得させてしまうのだ。本当は不快感があるのに、それが避けられるものであるという認識もない。

その不快感を無くすために他人を蹴落とそうとする。勝ち負けにこだわる。いわゆる動物的な本能の発動だ。同じ人の姿をしているが、中身の進化段階はピンからキリまである。だから全てが君と同程度に感情を感じ取れるわけではない。喋れる動物という感覚にも近い。

つまり、地球は動物的な世界であって、動物的な本能的行動をしない者は適すことが困難になる。野生のジャングルのようであり、野生のサバンナのようであり、野生の動物の生息地のようでもある。

君と動物は話が合わないだろう?他人と話が合わないのもうなずけるのではないだろうか?

それは感性という言い方もできる。出来事に対する感じ方、捉え方、不安の度合い。つまりどれだけ本能が発動しているかの程度問題だ。だから感性。

君と話が合わないというのは、その感性が異なるということだ。何かに対する恐れ、不安の程度、つまり動物的本能の発動だ。