タイムループ


先日、手塚治虫火の鳥、異形編を読んだ。戦国の親子と治療者の尼との因縁を描いた作品だった。この物語の核は、過去の自分の過ちとの向き合い方とその許しの関係だが、ネタバレになるが結末では結局同じことを繰り返してしまう。

同じ人物がほぼ永久に同じ場所や時代をぐるぐると繰り返してはまた戻っていく。いわゆるタイムループだ。

これを見て映画All you need is killトムクルーズの映画を思い出した。この映画は意識を持ったまま時を何千回も繰り返す。そしてより最善の方法を選んでは、またその先の問題に取り組んでいく。

これらのタイムループは見方を変えれば輪廻転生とも言える。記憶があるか無いかの違いだけだ。

時間軸から見た時に、今この瞬間も僕らはこのタイムループの中でもがいている。それが分かるのは例えば人間関係で悩んだとき。またはお金に困ったとき、病気で苦しいとき、痛みがあるとき、嫉妬するとき、不安で目覚めるとき…。そんな時に、ああまた同じようなことで頭を悩ませてるなぁ、イヤだなぁと毎回思うのだ。

これらのネガティブな感情に溺れているとき、僕らは「それ以外の選択肢なんかない」と思い込んでしまう。怖くなったら、もう「怖い」以外の思いは抱けない。イヤなものはイヤ。そんなものに出くわしたらなんて運が悪いんだ、としか思えない。そうしてまた、イヤなものはイヤなまま、その問題は後回しにして、そしてまた別の機会に同じことを繰り返す…。

それらの無数のイヤなことは、バシャールのいう輪廻転生との繋がりや関係性として関連づけられて、占い師や直観などがそれらを指摘してくれる。どんなにイヤなことに出くわしても、それが怖いままであればまた同じことを繰り返す。イヤなことに出くわした時には「イヤで当たり前」という思考しかなくて、そこから別の考えに行くことはなかなか困難だ。なぜならイヤという発想以外は浮かばないから。

では一体このイヤなタイムループから抜け出すにはどうしたら良いのか。

結論から言えば、イヤな事を好きになればいい。

そうは言っても、好きになれないからイヤな事なんじゃないか、と思えてしまう。しかし、それは個人の単なる意見だ。例えばゴキブリを見つけた時に、イヤな人は飛び上がるほど嫌悪する。しかし昆虫博士なら飛び上がって喜ぶ。つまりゴキブリへの嫌悪は普遍的なものではなく、単純に個人の好き嫌いなだけだ。

この理屈から、宇宙に存在するすべての事柄に当てはまることができる。人間関係にも当てはめられる。お金に対しても、受け入れがたい事だが病気や戦争にも当てはめられる。それらがイヤだから、宇宙はそのまま「病気はイヤ」という現実を提供してくれている。自分自身が「病気はイヤという世界」が好きで、選んでいるからそのまま現実となる。自分でそのフロアに行っているのに、いざ病気でイヤな体験をすると、誰かのせいにしたり神や悪魔のせいにしたりする。

バシャールがいうには、自分のオーバーソウルが自らの魂からその一部を「分離」させてたくさんの体験をさせているという。そして肉体が死ねば再びオーバーソウルに戻って行く。

これと同じように、現生での僕たちがイヤな思いをしたり苦しんだりすると、今ある魂から「分離」させて新しい体験をするために記憶として細胞に蓄えられる。魂から分離していき、たくさん分離するようなことになっていくと、もともとの魂のエネルギーが減ってしまう。おそらくこれが病気の原因ではないかと思う。

だからそれら切り離された魂のカケラを一個ずつ統合していくこと。しかし、もともと何かがイヤで分離させているから、それらを統合したくてもそのカケラは「イヤ」なままだから、もし統合の機会があっても「イヤ」な記憶は残っている。

そしてこの瞬間に自分が、まだイヤなままでいるのか、はたまたそれを好きになるのか、この選択ができるのだ。イヤなのであればそれはまたの機会まで先延ばしになる。しかしもし好きと思えれば、ようやく「統合」ができるのだ。もし統合がらできれば、もともとの「本来の自分」に近づくことができるというわけだ。

さらにイヤなことが好きになって統合できれば、「それがイヤという世界」から出たことになるから、その世界での体験はしなくなる。つまり周波数が合わなくなってその世界の体験ができなくなるのだ。

こうして同じようなイヤな事が繰り返されていくタイムループから抜け出る事ができる。これは他人から強制的に変えられることはできない。好きか嫌いかはその本人にしか分からないからだ。つまり全ての選択肢は各個人にしか選べない。

快なのか不快なのか、もしも不快ならば1つずつ好きになることが最も近道になるのだ。