負けることへの恐怖

人はなぜ負けることに異常なまでに恐怖を抱くのでしょうか?

行き着く先は「死」だから。弱肉強食の世界で負ける事は、すなわち食されることを意味する。つまり死ぬことだ。食われる場合には痛みや苦痛、後悔、無力感、怒り、悲しみ、あらゆる感情が沸き起こる。それらの極地の感情を味わいたくないという理由だ。

つまり不快感を避けたい。その不快感が恐怖となり、不安となる。

そして、食われる事はなくなった現代では支配することと支配される事に引き継がれ、自由である幸せを封じ込まれてしまっている。

本当は貨幣経済に支配されているのに、あたかも自分が優位に立つ事で支配者側になったような錯覚を抱えていたい。家畜を支配するには不安と恐怖を与えるのが最も手っ取り早い。だから相手を不安にさせる事ができれば支配完了だ。そのためには相手が自分を怖がらなければならない。怖がっている時には、人々は思考停止になる。そのすきを狙って支配者は操作する情報をこっそりと植え付ける。まるで本能が勝手に身体をコントロールしているかのように。

相手を不安にさせたり、見ただけで負けたと思わせるために、貴族などの各種階級や家柄、高収入や高学歴、高ブランドが最も価値があると思わせて、勝手に相手が劣等感を感じて不安になるよう「操作」している。

それらはほとんど無意識だ。

だが目的は明確だ。自分が優位に立って相手を支配すること。相手やその場をコントロールすることだ。

だから負ける事は相手に支配されることを意味する。それは常に自由を奪われること、極端に言えばその場の殺生与奪権を奪われることに近い。

支配者から見たら、人々が賢くなり自分で考えるようになってしまっては困るのだ。だから繰り返し繰り返し相手を不安にさせておかなければならない。テレビではやたらと怖く不安をあおるニュースばかりが流されるのもそのためだ。不安な時、人々は思考停止になる。だから支配しやすくなる。

さらに加えて言うならば、負けてはいけない、という洗脳もまた不安をあおる一因となる。負けたら無価値になる、とかダメな奴というレッテルを貼ることによって、勝負事に対する不安を植え付けることができる。