人生の目的は…?

物事の基本的な考え方は、潜在意識で拒否していたらそのまま拒否する現実、つまり遠ざける出来事が起きるんだね…。でもまだよくわかんないな。

   例えば自分が欲しいと思ったものは…今のところお金かな…いや、でもよく考えたら必要なものは買えてるし、それ以外はなんとか工夫して揃ってるなぁ…。欲しいのは大金か…、子供の大学費用と老後の資金?

   つまり、願望はほとんど叶っている、と思えてきた。無い部分にばかり焦点が合うけど、今のところ大きな苦労はないよ。おかげさまでだね。

   それでも自分の中で苦手な事もあるし、人付き合いもしんどい時があるよ。これの対処法なんかはあるの?


もちろんあるよ。ちなみに自分の中の苦手な部分はどんな事があるんだい?


人と話していると、相手が怖がっている…というかたぶん僕が相手を怖がっていると思うんだけど、早くその場を離れたくなる時があるよ。


なるほど。そのいやな感情が生じる場面から離れたいんだね。そもそもね、いやな感情が起きるからその場面が「引き寄せられた」んだよ。


え?どういう事?


人生は喜びを知るためにある。その喜びを知るには、その反対の感情を知らなければならない。だからその反対の感情を喚起する場面が起きるんだ。

   君がすべき事は、先ほどの場面を「避ける」のではなくて、「好き」になる事だ。もし避ければ、その時は良くてもまた別の機会に違う形で、同じいやな感情を喚起させる場面が起きる。これが、人によっては同じところをぐるぐる回っている感覚にさせているんだ。「いつも同じ目に合う…!ほんとにツイてないな!」という具合にね。

   そして、もし仮にその場面を肯定的に見ようと許せる自分を想像したときに、「あれ、こんなのはいつもの僕じゃない」と言ってまた元の嫌いな自分に戻る。きっと周りの人から「前はそんな事言ってなかった」とかいろいろ言われるのが怖くなるんだ。

   それから今までの経験から、何かよく分からないことが起きた時も、君は無意識にラベル付けをしている。例えば初対面の人に「あ、この人はいい人だ」とか「あちゃ、これは苦手なタイプ…」とか。これもその場面を避けるのではなく、とりあえずいったん飲み込むんだ。その人を好きになる訳じゃなくて、その場面を「好き」と思えること。それができれば、もうそんな気まずい雰囲気になる場面は起こらない。というより、起こる必要が無くなるんだよ。


起こる必要が無くなる…?


そう。さっき言った人生の目的は喜びを知ることだったろう?つまりその気まずい雰囲気の対極にある安心感、信頼感を理解できるようになるんだよ。

   結局、君たちの側から見た願望実現というのは、「君の考え、意見通りの現実が起こること」という程度の定義に過ぎないんだ。だから、君の意見にそぐわない事があると、怒ったり強引になったり、無理矢理それに近づけようと余計な体力やエネルギーを使わざるを得なくなる。または、やっぱり自分にはそんな価値なんてなかった…と失望し、悲しむ。

   君の中に怒りがあればあるほど、失望や無力感があればあるほど、それを体験させてくれる現実が起こるんだ。もう一度言うけど、君がすべき事は、その場面を避けるのではなくて好きになる事だ。その場面自体は君の中にネガティブな感情があったから出てきたものなんだよ。それを体験して、肯定的な面を理解するために。

   だから見方を変えれば、君の願望実現は「常に毎瞬叶っている」という訳なんだ。この毎瞬を作っているのは、他でもない君自身なんだ。君の中の感情というフィルターを通して、現実という映画が上映されているんだよ。

   そして、君の考え、意見というのは今までに生きてきた中で、どこかの地点で誰かからか、どこかからか君が知らないうちに拾ってきた別の人の考えや意見である事が多い。そんな他人の意見を実現したって面白くないだろう?

   さらに言うなら実現しないのは、他人の意見だからだ。それを実現したらその他人から褒めてもらえる、認めてもらえるという裏返しなんだ。つまり、今の自分では褒めてもらえないし認めてもらえない、という不満や不安、劣等感があるから、現実ではそれらのネガティブが引き寄せられ、映し出されて実現する、という事なんだ。

   そんな他人からの意見を自分の中に大事に持っているという事は、さっき言ったように自分の中の欠乏感を埋めるためでもあるんだ。だから現実にはその欠乏感が映し出されるという訳なんだ。

   本当の願望実現は、君が心から楽しいと思えること、心に直観として感じられるものを言うんだ。これは魂が体験したいと思っていること、君のハイヤーセルフが望んでいる事だから。

   自分の中から湧き出ることを実現したい、ということは他人からのネガティブな意見は実現しなくてもいい、ということだ。自分の意見か他人の意見かの見極めは、実現して欲しいことに執着していたら他人の意見だよ。逆に叶ったらラッキーかなくらいのこだわりのない願望であれば、自分の意見だ。

   執着というのは、それなしでは自分は不完全だという思いから生まれるものだからだ。本来の自分であれば、すでに幸せだからそれが無くても大丈夫と思えている、ということさ。