無条件の愛の種・喜びの大きさ
ポジティブの種が育って、収穫するまでの時間が分かりました。
では今度はその収穫の大きさなんだけど、より大きい収穫になるにはどういう仕組みになってますか?つまりより喜びや嬉しさを大きくするには、種まきの段階でどういう条件が望ましいですか?
ここでいうより大きな喜びというのは、何かを達成した、という喜びの事かな?
うーん、そうですね…ちょっと漠然としていて自分でもよく分からないんですよ。
よし、じゃあ君が開脚180度を達成した時の喜びについて考えてみようか。
初めはできなかったが、今はできている。そして継続している。
そうなんです。ただ、これは地道に筋肉とか生理学とか研究していって、少しずつできていったので、知らないうちにできていた、という方が近いですね。
気づいたらそこにいた、という感覚です。
開脚できなかった時にイメージしていたのはどんな感じ?
もしできたら、うおー!すげえ!やった!という喜びをイメージしてました。
じゃ、初めてできた時は?
やっぱり、うおー!すげえ!やった!ってその瞬間は思いました。
じゃあ実現したわけだね。おそらく、そこに到達するまでの過程で、君に必要な事を体験することが大事だったんだろう。その中には、自分には開脚なんて無理だ…とかやっぱりできないな…とかの疑いの感情もあったはずだ。
出来事は全て君の感情を現すシンボルだったね。だからそのシンボルの真意を見抜いて、ポジティブに変えていった結果なんだ。
できないと思って、もがいていても、そのできないというカベがあることに気付けるかどうか。出来事の真意をつかめるかどうか。
壁…。
これの正体は、自分には無理だろう、と思う自分への疑いや新しい事への怖さなどだ。新しい事を取り入れるという事は、実は今までのことを否定する事でもある。今までうまくいっていた(と思っている)ことを変える、または捨てる事なんだ。それを変えたら、ひょっとしたらうまくいかなくなるんじゃないだろうか…という不安が常に付きまとう。
だから人は変化に弱い。変化を恐れるし、変化を拒む。
物質的な願望実現は、気付いたらうまくいっていた、というくらいがちょうど良い。
強烈な喜びというのも悪くはないが、無条件の愛から見れば強烈な刺激がなくても幸せ、といったところだ。
逆に強烈な不安をかき消したいがために、その反動で強烈な喜びを得たいと思うこともある。物質的な成功で不安が消えるのかを学ぶためならプラスだが、本質は自分の中に抱えている不安にある。
やがては刺激などはいらなくなる。十分満たされているからだ。
できるだけ外側からの喜びよりも、内側からの喜びを見出すよう常に常に感情をモニターするのだ。