愛されなかった自分を満たす


「私は愛されない」という思い、これもまた観念の一つだ。幼児期に親からもらえるはずだったのに、親もまた未熟な一面があったためにそれが叶わず、満たしてもらえなかった。

その愛情の不足分を抱えたまま、時が過ぎて人は年齢的に大人になっていく。だが満たされていない状態は幼児期のままで止まってしまっている。

この不足した愛情を満たすには、まず自分に不足している愛情に気付くことだ。


見て欲しかったのに見てくれなかった…。

褒めて欲しかったのに褒めてくれなかった…。

撫でて欲しかったのに撫でてくれなかった…。

そばにいて欲しかったのにそばにいてくれなかった…。

励まして欲しかったのに励ましてくれなかった…。


そうか、僕の場合は小さい頃両親が共働きで家には誰もいなくて、ずっと留守番していたなあ。だから心細いときとか、本当は親にそばにいてもらいたかったんだ。兄もいるけど、兄もまた不足したものがたくさんあったから、結局僕はいじめられることが多かった。


よろしい、ではその寂しかった子供の頃に、今の君が行ってその自分を抱きしめ、話を聞き、褒め、励まし、撫で、一緒に遊び、その子の思いや不安、寂しさを満たしてあげるのだ。思いつくままに場面を変えながら、記憶に残っている子供の場面を思い浮かべて全ての記憶を巡って周り、その時の自分を満たしてあげるのだ。

子供の頃だけではなく、大人になって不安なことがあった記憶にも出向いて、褒めて励まし、抱きしめ一緒にいてあげる。そして記憶の中の自分もまた素直にそれを受け入れ、甘えて弱みを見せてもいい。心の壁を取り払って、自分の励ましや愛情を受け入れるのだ。


記憶の中に行けたら、君は必要な姿に自由に変えても構わない。時には父親に、時には母親に、時には理想とする女性や男性に。

あの時に「愛されなかった」という不満を、「愛で満たしてあげる」。自分自身に。無条件で。


そして全ての記憶で自分を抱きしめ語りかける。

怖かったね、大丈夫だよ。悲しかったね、辛かったね、すごい頑張ったね、すごいよ、ずっとそばにいるから大丈夫だよ、寂しかったね、許せないよね、大丈夫怖くないよ、ずっと見守っているから、ずっと離れることはないから、ずっと手を握っているから…。


そうして今この瞬間にも、未来の自分が今の君を抱きしめ語りかけ一緒にいてくれている。君が心を開けば、その声、その想いが聞こえるようになり、感じられるようになる。


そうやって今までの会話は成り立ってきた。