いつも顔が重い…機嫌が冴えないこと

朝起きると、いつも表情が冴えない。眉間にわずかに力が入っていることは分かるけど、それが何を意味しているのか…


眉間の緊張は、疲れ、怒り、コントロールできないいら立ち、自分への失望、世の中への不満、自由への渇望、束縛、未来への不安、それに対処できないかもという自責、無力感、などいろんな感情が出やすい場所なんだ。そんな思いをたくさん抱えることで、眉間が緊張して眉間のチャクラも閉じやすくなる。そうなると、良い閃き、良いインスピレーションがせっかく来ていても、それらのネガティブなフィルターを通過するから全部がネガティブに見えてしまうんだ。


この眉間の疲れはどうやったら取れるんだろう…?


やや力の入っている眉間に意識を集中して、湧き出るイメージをなんの判断もせずに眺めていくのが第一歩だよ。


なるほど、じゃやってみるよ。すぐに2人の兄の顔が浮かんで来た。昔はよく2人の兄にいじめられたなぁ…イメージの中でも何か僕に意見を押し付けているような雰囲気だ。なんか腹が立ってくるよ。なんかのちょっかいを出されて俺が嫌がることを繰り返ししてくる。俺が泣くまでやる。泣いてる俺を見て喜んでる。なんて性格の悪い奴らだ。ちくしょう、やり返しても歯が立たない。俺は小さい。あいつらの方が大きい。悔しい…ちくしょう…!


よく見えてるね、それが眉間の緊張の原因の一つだよ。その時の悔しさが記憶として君の眉間に宿ったままになってたんだ。きっとその記憶だけじゃなくて、もっとたくさん記憶は宿ってると思うよ。君は今までずっとその記憶と同居しながら暮らしてきていたんだ。そのデータが大事ならそれでも構わないけど、いらないデータならすぐに「消去」だね。「解放」と言ってもいいけど。

   コツはその時の感情から意識を背けずに、真正面からもう一度感じて、悔しがっていたこと、怒っていたこと、悲しんでいたことを認めてあげるんだ。そして逃げるのではなくて、「スキ」になること。その場面を、「スキ」とか「面白い」というラベルに張り替えるんだよ。


今度は目玉の中が重たいな…じゃ、左の目玉に意識を向けてみるよ。うーん、すごく見たくないと思ってるものを見ている感じ。それは…中学生だった頃…好きだった女子が別の男子と歩いて一緒に帰ってる場面を見てしまったことが思い出される…うぅ…ショックだ…。悲しい…。

   次に浮かんでくるのは、高校生の頃にいた女子が、こちらの思うように優しくしてくれないことに対して俺が(勝手ながら)いら立ってる。冷めた表情で俺から目をそらす。ちくしょう、俺はそんなにダメな男なのかよ…!優しくして欲しい…。

   今度は右目でやってみよう。すぐに怒った父親が浮かぶ。「なんでお前はそんな事もできないんだ!」と、まあ、いつものように怒って俺を責める。怒った父親、まあいつもだったけど、怖い…怖い…。恐怖。子供ながらにとても怖いよ。早く父親から逃げなくちゃ。また何を言われて怒られるか分からない…!逃げろ!早く!

   次は…脳みそなんかもできるのかな。やってみよう。すぐに漠然とした恐怖…というか不安感…というか…。自分が一体何を考えているのか分からない、という空虚な感覚。自分の声が聞こえない…。いや、自分の声を自分でかき消していたみたいだ。自分ではいろいろな欲しいものとか、やりたい事とか考えているみたいだったけど…脳みそからのかすかな声に耳を傾けると、なんとか聞き取れてきた。こう言ってる。

「どうでもいいよ〜」。

と楽しげに。今までの僕を後ろからずっとずっと見てきたかのように。いや見ていたんだろう。物欲とか食欲とか色欲とか…欲しいものなんかもいろいろ考えてたけど、正直疲れるんだよね…脳みそからの声に意識を向けてた方がなんというか、心地よくてさわやかな風に吹かれているような、時間も忘れて青空の下でずっと横になっていられるような…。

    脳みその声…これは結構重要かもしれない。ごちゃごちゃした薄黒い霧の奥にあるさわやかな明るい草原からの声。そこではとても平和な空間が広がっている。その空間でゆっくりとくつろごうとしていると、すぐに薄黒い霧から声がかかってくるようだ。

「そんなとこで遊んでる場合じゃないだろ!早く急がなくちゃ!そうだろ?」

   当然、今はそんな急ぐ仕事もない。これは…幻からの声。いや、これは俺の声だ。俺が自分に向かって必死に叫んでいる。焦り、不安、自責。僕の直観では、頭の中の草原での気持ちが本当の僕で、薄黒い霧は今までに拾ってきたいらないデータの集まりだと思う。「早くお金を稼がなくちゃ!」「早くしないと大変な事になるんだ!絶対にだ!」「何をのんびりしてるんだよ、このノロマ!」「下手くそ!下手くそ!」

   くぅ〜っ!なんて酷いことを口走ってんだオレは…。しかも大事な自分に向かって。でも良く考えたらこれらのセリフは、よくいる遅い車とか、うまくできない人に向かってとか、ゆっくりやってる自分の子供とかに言ったり思ったりしてる言葉じゃないか…。

   そうか、他人に向かって投げかけていた、と思ってた言葉は、本当は自分に向かって言ってた言葉だったんだ…。でもなんで自分に向かって言ってた事を他人にも同じように言っちゃうのかな。


   それはね、例えば君が「自分は行動が遅い!」と思ってたらそれに気づかせてくれるような現実がやってくるからなんだ。遅い車に対して言ってしまうのなら、君から出る言葉に注意を向けて、気づいてもらえるようにするためさ。今までは自分にも他人にも文句を言っている状態が「君の中の標準」だったから、それが酷いことだなんて全く気づくことはなかったんだ。

   でも進歩することによって、「酷い言葉」と対極の「良い言葉」に気づいた。文句は本当は自分に向かって言ってたんだよ。

   君が周りに対して怒った、ということは君の中に同じだけの怒りがある、ということだろう?だからその怒りの量に応じた現実が目の前に現れた、というだけなんだ。