相手からのエネルギー、と心のバランス

人からのエネルギーのやり取りがあると知ってから、興味本位としても人との交流を試しにやってみた。すると、今までは気づかなかった僕の「相手のエネルギーを遮断する瞬間」があることに気づいた。

今までだったら話をして少ししたら、あ、やっぱりやめとこう、と相手を受け入れること無しに線引きをしていた。だけどその瞬間に僕は何かを恐れていたようだ。相手の何かよく分からないエネルギーをシャットアウトしていたのは、それが分からないから怖くて心を閉じていたのだと思う。

心を閉じた瞬間、相手にもそれが瞬間的に伝わる。だから相手との距離感が遠いままとなっていた。近い距離感が正しいという事ではないが、相手のエネルギーにもう少しだけ深く触れても大丈夫なんだと思えるようになっていると思う。

要するに僕は人を怖がっていた、という事だ。何が怖いのだろうか。近しい人と言えば、幼少期の家族なのだが、近づくと傷つけられた記憶が無数にある。いじめられたり、ぶたれたり、ひどい事言われたりされたり。だから心が近いとむき出しの心を攻撃される、と条件反射的に身構えてしまっているのではないだろうか。

心が近いと、無自覚な人は自分の怒りを相手にぶつけ始める。


一方でこちらが近づくと相手がシャットアウトする事もある。これは明らかな拒否反応でもあるが、その理由もまた怖いからである事が多い。今までにも開いた心に釘を打たれるような経験をしてきたのかもしれない。オーラの話にも通じるが、その壁が厚いほど同じくらい深い傷や溝がある。壁を厚くすることでプラスマイナスゼロにしてなんとかバランスを取っている。

心のバランス。そうだ、僕が知りたかったのはまさにこれだ。心のバランス。

なぜ人は怒るのか、悲しむのか、責めるのか、お金をたくさん欲しくなるのか、高級品で身を固めたくなるのか、その全ては、心のバランスを取ろうと必死に抵抗しているから。

抵抗しているのか?

そうだ、抵抗だ。

さもなければ今にも不安と恐怖に飲み込まれてしまうから。何の不安かと言えば、自分はムチャクチャ無価値だ、という不安。いる意味なんかない、むしろ消えた方がましだ、という自責の不安。

それでもここに居なければいけないという義務、死んではいけないという束縛、それへ対抗できない無力感。こんながんじがらめの現実の中で握り潰されそうになっている風船のように、特定の場所が飛び出る。それが心のバランスを表す行動や反応だ。

なんとか自己を肯定したい。意義ある存在だと思いたい。居てもいいんだと安心したい。せめて気持ちだけでもプラスマイナスゼロにして、穏やかでいたい。

「せめてプラスマイナスゼロに持って行って安心したい…」

これが心のバランスだ。

ある者は怒り、ある者は涙を流す。ある者は人を蹴落とし、ある者は大金を得る。ある者は高級品に身を包み、ある者は学歴を得る。ある者はエリート階級になり、ある者は殺人を犯す。