共感とオーラ力学

子供は特に、親に共感してもらいたい。

お母さん見てみて!絵が描けたよ!

見てみて!昆虫いたよ!

お月様きれいだねー!

なぜか。子供の感性はプラス感情でできているからだ。プラス感情(子供)にプラス感情(親)が重なると光の三原色と同じでますますプラスになる。それが心地いい事を知っているからだ。

逆に悲しい時には相手にも同じような感情を感じて分かってもらいたくなる。そこにもまた共感がある。

オーラで言えば、同じような色、密度、振動数だ。似たような振動数のオーラが近づけばそこには「共鳴」が生じる。音叉の共鳴と同じだ。

この共鳴現象は「生きている」という実感になる。

この共鳴が得られない人がよく口にする言葉は、生きている意味がない、生きる実感がない、というセリフ。親や近しい人との共鳴がない人生になると、生きる実感がなく、孤独感を感じるのだ。

共感が欲しい人は、誰かの周波数に合わせたい訳ではなくて「自分の周波数に合わせて欲しい」と思っている。実際には低周波の人が高周波の人に合わせる事は、かなり困難な事ではあるのだが。だからより実践的にいうならば、自分の周波数まで降りてきて欲しい、という事だろう。高振動の人が低振動の人に合わせると、一見優しくしているように見える。だが、進化の視点で見ると逆行することになる。理想的には低周波の人が高振動の人に近づくよう努力するほうが望ましい。

だが低振動の人も、できることならそうしたいのだが、したくてもできない、というのが本当のところだろう。だから自分の周波数まで合わせてくれない人は「冷たい」「思いやりがない」「何も分かってくれない」と感じられる。

高振動の人は、プラス感情でいるほうがはるかに良いと感じているから低周波に合わせることはほとんどない。だが、いつもいつも愛する人のためにプラス感情を投げかけて、相手がそこまでたどり着いて共感できる事を待っている。これが祈りにも近い。

プラス感情を投げかける存在は目に見える者だけとは限らない。魂、進化した地球外生命体、光、など様々だ。今も君のそばで同じようにプラス感情を投げかけてくれていて、君が共感してくれる日をずっと待っていてくれている。この共感は同じ感情だけではなく、必要な情報や知識、におい、メッセージ、タイミングなど閃きに近いものであり、いつでもその瞬間が君を待っている。

インスピレーションが瞬間に閃くのもこの共鳴、共感の一種だ。これは君のオーラがその周波数に合わさったから共鳴しているだけなのだ。これが偶然性、シンクロニシティである。本当は必然性なんだけどね。