いい事があれば、その後に悪い事がくる!?

先日は波動・周波数が高まると身体症状が出ると書きました。そしてその正体は、かつて自分が怖いなと思っていた症状が、あぶり出されるように出現するということ。

これと同じことがあって、いわゆる人生にはいい時と悪い時が交互にやってくる、というもの。

これも波動・周波数で説明がつく。

何か良いと思える事があって周波数が上がると、かつて自分が「こんなことあったらヤダな、怖いな」と思っていたことがあぶり出されて体験している。ただこれだけ。シンプルな現実。

それが一定の時期や期間でやってくるように感じるけど、それも波動・周波数で説明がつく。

悪い事がいつまで続くのかは、その低い波動が新しい自分の波動に追いつく、または馴染むまで、といえる。

いい事が続く期間は、自分が抱えた低い波動が現実化している許容範囲内であるうちは、続く。


その種類も多岐にわたるが、過去の後悔や未来への不安、人生への恐れがほとんどだろう。

ということで、人生の浮き沈みもまた自分の中から発せられたものである、と理解できる。

波動が上がると体調悪くなる、の正体

波動が上がると頭痛、腹痛、めまい、耳鳴り、歯痛、しびれ、動悸…
などなど、人によって違いますがたくさんのいろんな症状が出ますよね。ネットで検索したらたくさんの記事があります。
で、その症状が出る原因が分かったので書いておきます。

結論を言いますと、
「身体症状が出たら怖いから」
と言えます。

どういうことか。

身体症状が出るのは誰だって不快だし怖いですよね。痛いのもイヤだし、そっちに気を取られるのも面倒くさい。
しかも、それが悪化したらどうしよう…、とかこのまま死んでしまうかも…など考えたこと無い人はいないと思います。

身体症状について、かつて、頭痛いやだな…腹痛怖いな…めまいはしたくない…抜け毛が怖い…心臓止まったらどうしよう…などの不安を感じたものの、それを潜在意識BOXにしまい込んだままになっている人が99.9%だ。

それで波動を高めるよう意図して、実際に波動・周波数が高まると、しまい込んだ不安があぶり出されてくるというワケです。

つまりスピリチュアル的身体症状はかつて自分がまいた不安や特定の種が、芽吹いて体感という収穫をしているだけに過ぎないのです。

だから症状が出る前に、自分から不調への不安を迎えに行って統合しておくことで、症状の出現がなくなったり、軽減できたりすると言えます。

日本叩きの正体

戦後のウォーギルドインフォメーションプログラム、つまり日本人は世界に悪いことをしたから反省しろプログラムによって、我々日本人は何十年も自分を責めるように洗脳されて過ごしてきた。それが今や日本人には当たり前の感覚にすらなりつつあるが、もともとの外国による日本人の足引っ張り作戦の思惑に気づいたために記してみる。

結論から言うと、日本人の波動・周波数を上げないためである。
どういうことか?
日本人はただでさえ律儀で正直で親切、寛容で真面目で勤勉で努力家だ。江戸時代の発明品や生活レベルの凄さをみても、昔から素晴らしい暮らしをしていたことがわかる。
つまり日本人は諸外国と比べても圧倒的に波動・周波数が高いのである。
それでは、波動が高いとどうなるか?
それは、新しいアイデアが湧き、新しい物事が次々と生み出される。新しいエネルギー・金融・政治・社会システム・地域特性・人間関係・教育・暮らし…

そうなると今までの外国企業によるエネルギーや食料などの支配関係が保てなくなる。石油・原子力、有線での送電、食料の種子…

さらには波動が上がると平和になる。平和になると武器が売れなくなる。武器製造会社や特産のアメリカ企業と株主、政治家が困る。

波動が上がると病気が無くなる。すると諸外国の製薬会社の売上が落ちる。ワクチンビジネスが最たるものだろう。コロナやインフル、子宮頸がんワクチン…。

波動が上がると、楽観的で不安がなくなる。不安が無くなれば、必要以上のオシャレもなくなるし、美容整形の必要もなくなる。口臭を気にしなくなり、老化もすんなり受け入れられるからサプリもいらない。ムダな筋肉も要らないし高級品も必要なくなる。


今の地球上の大企業たちはほぼ、人々の不安が強いことで成り立っている。だから日本人の波動が上がると不安がなくなっていき、旧式の経済が回らなくなる。

日本人の波動が上がると、その流れは当然ネットから外国に行き、外国の庶民も日本を見習い始める。
そうなると、世界全体の波動が上がり、低波動のシステムが淘汰されてしまう。

そうすると今まで世界を牛耳ってきた者たちの居場所がなくなる。それが怖いから政治家に働きかけて、旧式経済を持続させる法律を無理やり作って、庶民を旧式の世界に留まらせ続けようとする。

イエスやブッダの周波数すら低く感じる!?

バシャールの言うところの第4密度はだいたい18万回以上の固有周波数とのことだよね。地球上の僕らはほとんどそのレベルを目指してるんだけど、第5密度に近づいていくと、イエスやブッタの20万回よりはるかに高いよね。
ということは、第5密度から見ると、20万回であっても低い波動になることになるけど、一体どんな感覚になるんだろう?
僕らが波動の低くなることを嫌がるように、イエスブッダの周波数であっても同じくネガティブに感じることになるんだろうか?


ははは、そこは心配いらないよ。第4密度ですでにネガティブな本能由来の感情は通れない、存在できないからね。
じゃあどんな感覚なのか伝えるのも難しいところだけど、まあ分かりやすくいうとハイヤーセルフに近づいていく感覚かな。そこは善であり、愛であり、自分自身だ。
たくさんのモニターを同時に見ている感覚とバシャールは言っているね。恐れを含んだ物事の途中過程も存在できなくなってどんどん削ぎ落とされていくから、イメージまでの実現が速くなる。
つまり時間の経過も今の地球と比較して速くなる。
だからその速度もまた楽しいから、また次も速くなる。
とにかく、自分自身ではないものは存在できない世界なんだ。そんな感覚の人達が楽しむ場所だよ。自分自身というのは魂のことも含むから、魂は愛でできてるもんだから、つまり愛以外はなくなっていく。
君が想像しうるポジティブが中心になる。そしてそこから派生してますます拡大していくよ。


その拡大というのもよく分からないですが、どんな感覚なのでしょう?


まずは人の気持ちがよく分かるようになる。いい事もそうでない事も。現在の波動から、未来が分かるし過去も感じられる。物事の最短距離も気付けるから、無駄な行動も減っていく。その場の波動の動きや強弱、流れが分かるから大きなトラブルになることは滅多にない。
相手が欲していることが分かるし、本来のその人の姿も見える。子供の頃にしたかったことや本来の性格、そして幼少期に親から得られなかった悲しみや怒りなどに気づく。相手のオーラも感じられるし、それに合わせてあげることもできる。
好きなこととそうでない事が明確だから、必要な物が必要なだけあれば良くなるし、無駄になることも分かるから多くを欲する必要もないと知っている。
全体の中の自分の位置が分かるから、自分がすべき事もすぐに分かり行動に移せる。そしてたいていそのポイントがずれることは無い。先の未来に気づく感覚も使えるから、人がまだやっていないがやる必要のある事も分かり、先手をうって行動ができる。
物事が困難だという感覚もなくなるから、誰もがいつでも前向きで明るい。
家族という垣根がなくなり、隣人という垣根もなくなり、知らない人という垣根もなくなっていく。誰もが互いに尊敬し合い、認め合う。
必要な情報にいつでもアクセスできる。インスピレーションをダウンロードする感じ。

セラピストの役割

セラピストとしての仕事をしていると、知らないうちにだんだん相手の生活までも背負い込んでしまいそうになります。これでいいのか悪いのかも分かりません。どうなのでしょうか?

背負い込んでみてそれが楽しいのか楽しくないのかで判断してよいよ。それは自分で決めることだから。もし楽しく感じても、時間の経過とともに気持ちがどう変化するのか、それも自分でモニターしていくことも大切だよ。
やってみてだんだん重荷になったら、疲れてイヤになっちゃう。
本来はそれぞれの人生は各人が自分で責任を持つもの。それが分からない人ほど他人のせいにする。だから他人のせいにしたがる人は、人生を理解していないと言えるし、その程度も不理解の程度と比例する。
もし相手から、もう自分でなんとかできるようになりました、と言われたときに君がどう感じるかも重要だ。なぜなら相手からの依存を、君が期待していることもあり得るからだ。
本来は相手が自立できたときには、進歩したから喜ばしいことなのだ。

または、君のやり方では進歩できません、だからあなたからは離れたいと思います、と言われた時には相手の自由を尊重すること。
これはただの相性だから、君は自分の能力を疑ったり自分を責める必要はまったくない。
本気で向上しようという意欲や意志が、実は初めからなかったというケースもある。それがバレそうになって慌てて君から離れるのともあるだろう。

がんについて聞いてみた

がんの治し方についてもっと詳しく教えて下さい。


がんと一口に言っても原因は様々だ。ウィルスもあれば化学薬品もある。細胞自体の不完全なコピーミスもあるし、遺伝的な状態もある。
筋の状態によってアプローチが変わるように、がんの状態によってもアプローチは変わる。
だから物質的にこれをすれば大丈夫、というのは普遍的な治し方ではない。

ただ一般的には、病気によって何かを学ぶきっかけにできることは間違いない。自分の中のネガティブを見つけることや、死への克服、周囲への感謝、新しい出会い、新しい出来事、こういった新しいコミュニケーションでの模索もその一つだ。
がんの人の周囲にも新しい何かを生み出すことができる。気づきや優しさ、配慮、援助、強さや弱さ。
何を感じて何を生み出すのか、何が課題でそれに対してどう対処するのか。それを自分に再度確認する人生もある。
だからといって、そのきっかけはがんでなければならないという訳ではない。
つまりがんの人の数だけ、人生の課題や因果、治し方が存在する。

がんはそれらをよりクローズアップさせるのに、今の君たちにはちょうどいいのかも知れない。
本来、がん自体にはなんの意味もない。それに対する君たちの意味づけ次第で、良いものにも悪いものにもなる。がんになったからといって、とりわけ良いとも悪いとも言えない。
君たちの恐れを象徴する最たるものと言えるかも知れない。
だからがんを失くすなめには、がんが恐れとしてのシンボルの対象でなくなる必要がある。それなくしては治癒には向かわない。例え1つ目のがんを除去しても、それが恐れとして強くシンボル化されていれば、当然再発という形で体験することになる。
どんなに食事や運動に気を使っていても、がんを恐れていたらやがてそれが現実化に向かって動き出す。
治癒という表現も本来は適切ではない。がんのない現実に移行した、ともいえる。



どうやってがんの恐れを克服するのですか?



徹底的に自分の恐れと向き合うこと。自分の恐れに気づきという光を差し込むこと。自分はがんによってどんなことに怒り、悲しみ、落胆し、失望しているのかを、なんの偽りもなく率直に感じ取り、表現すること。今までの経緯も含めて傷ついてきたことを、包み隠さずに認めてあげること。
嫌な感情を感じたら、そこにフォーカスせずにそのネガティブを好奇心をもって見つめてあげること。

総合的に見ると、がんに対するアプローチにもレベルがある。すなわち物質レベルなのか非物質レベルなのかの違いだ。
君たちのほぼ99.7%の人たちは物質レベルでなんとかしようと躍起になっている。だがその根っこである非物質レベルへのアプローチが何もなされないために、結局出来事は同じことを繰り返す。
だからもしセラピストが施術をしても何の変化もなかったとしても、それはセラピストのせいではなく本人が非物質レベルでの変化を選択しなかっただけと断言できる。
例えば一時的に良くなったとしても、また時間をおいて再発を繰り返す。
セラピストに施術された人が何の変化もなかった、と言って責めても、本当のところ本人が絶対に変わるもんか!変われるはずなんかないんだ!といって同じ不安の中にしがみついているのだ。
その場合はそこに居続ける本人の意志なので、無理やり心変わりをさせることはできないし、恨みになることもある。
非物質レベルにおいてはまず感情がその指標となる。大きく分けると快なのか、不快なのか。快であれば問題はない。不快であるなら、それはなぜなのかを掘り下げていく。
そこであぶり出されたその理由は物質を形作る原型となるから、現実を変える根本に近いものとなる。
だからがんのない現実に移行(治癒)するには、ほとんどの感情を快に変えていくことが最も近道なのだ。

本当に変えたいと思い行動を変えようとするなら、がんの人のハイヤーセルフはそのような情報を発信し、周囲のあらゆる事柄を用いて本人に伝えようとする。テレビの何気ない一言や、目につく広告の一文、新しい人との出会いなどもその偶然性に含まれる。
そこで変化を本当に望むなら、相手の言動の中にその偶然性を生じさせて自分が信じられる出来事としてシンボル化した体験をする。
占いやおみくじ、験担ぎもこれに含まれる。

がんについて聞いてみた

がんの治し方についてもっと詳しく教えて下さい。


がんと一口に言っても原因は様々だ。ウィルスもあれば化学薬品もある。細胞自体の不完全なコピーミスもあるし、遺伝的な状態もある。
筋の状態によってアプローチが変わるように、がんの状態によってもアプローチは変わる。
だから物質的にこれをすれば大丈夫、というのは普遍的な治し方ではない。

ただ一般的には、病気によって何かを学ぶきっかけにできることは間違いない。自分の中のネガティブを見つけることや、死への克服、周囲への感謝、新しい出会い、新しい出来事、こういった新しいコミュニケーションでの模索もその一つだ。
がんの人の周囲にも新しい何かを生み出すことができる。気づきや優しさ、配慮、援助、強さや弱さ。
何を感じて何を生み出すのか、何が課題でそれに対してどう対処するのか。それを自分に再度確認する人生もある。
だからといって、そのきっかけはがんでなければならないという訳ではない。
つまりがんの人の数だけ、人生の課題や因果、治し方が存在する。

がんはそれらをよりクローズアップさせるのに、今の君たちにはちょうどいいのかも知れない。
本来、がん自体にはなんの意味もない。それに対する君たちの意味づけ次第で、良いものにも悪いものにもなる。がんになったからといって、とりわけ良いとも悪いとも言えない。
君たちの恐れを象徴する最たるものと言えるかも知れない。
だからがんを失くすなめには、がんが恐れとしてのシンボルの対象でなくなる必要がある。それなくしては治癒には向かわない。例え1つ目のがんを除去しても、それが恐れとして強くシンボル化されていれば、当然再発という形で体験することになる。
どんなに食事や運動に気を使っていても、がんを恐れていたらやがてそれが現実化に向かって動き出す。
治癒という表現も本来は適切ではない。がんのない現実に移行した、ともいえる。



どうやってがんの恐れを克服するのですか?



徹底的に自分の恐れと向き合うこと。自分の恐れに気づきという光を差し込むこと。自分はがんによってどんなことに怒り、悲しみ、落胆し、失望しているのかを、なんの偽りもなく率直に感じ取り、表現すること。今までの経緯も含めて傷ついてきたことを、包み隠さずに認めてあげること。
嫌な感情を感じたら、そこにフォーカスせずにそのネガティブを好奇心をもって見つめてあげること。